2008-05-25

韓国行ってきます。

博多から船で。

旅行記はこちら↓
東京-福岡-釜山-ソウル1泊2日の韓国旅行【1日目】
東京-福岡-釜山-ソウル1泊2日の韓国旅行【2日目】
韓国の新幹線KTXに乗ってみた。【ソウル-釜山】

2008-03-26

タタになったジャガーに乗って栃木へ


我が愛車(本当は会社の車)ジャガーに乗って宇都宮のちょっと先まで出張。
片道150キロ超の久々爆走ドライブ。
でも車が良いと高速でストレスが無く快適♪家のエスティマなんか・・・

「さすがは英国が誇る高級車ジャガーだ!」

と言いたい所だったが出掛けに会社で新聞を見たら
インドのタタ社がジャガーを買収
なんて見出しが載っていた。
米フォードに続きまさか元植民地の国インドの会社に買収されるとはジャガーも落ちたもんよ・・・

しかしタタ社といえば去年インドに行った時、密かにお土産に買って帰ろうかと真剣に考えた程一目ぼれした車「アンバサダー(↓写真)」を作っている会社じゃないか。
誰がどう見てもクラッシックカーにしか見えないこの車、これが今なお現行モデルとして生産されているらしいからオドロキだ。よく見りゃ昔のジャガーに似ていなくも無い。
インド人は誇らしげに「アンバサダーの売りは丈夫さだ!」と言っていたが、恐らく作りが単純なので壊れてもすぐに治せると言った意味だろう。ただ、屋根の上に人を乗せて走っても屋根がへこまないような丈夫さはありそうだ。。。

そんなジャガー改めタタの車に乗って東北自動車道を北上。
「経費で大田原牛を喰ってやる!」
と意気込んでいたものの、結局昼飯は妥協に妥協を重ね自腹で佐野SAの佐野ラーメン(ピリ辛葱油ネギラーメン)を一人すする事に。悔しいから煮卵をトッピングしてやった。


ラーメンに卵を入れられる程度で大田原牛も自腹で喰えないような我てがジャガーで乗り付けると大抵の人は「若っけーのにこんな車乗りやがって!」光線を浴びせてくる。
今日初対面の取引先も例外ではなく、冷たい視線を感じつつ仕事は期待以下の結果。
帰りは渋滞にはまりチビリそうになりながら長い道程を帰ってきた。

今度ジャガーのエンブレムを剥がしてタタのエンブレムに交換し、後ろに「アンバサダーDX」なんてステッカーを張っちゃおうかな。
そうすれば冷たい視線を浴びせられる事無く仕事もうまく行くでしょう。

2008-03-21

YS11


ここ1ヶ月ほどYAHOO!の検索で我ての大好きな飛行機「YS11」を検索すると我がホームページ「YS11-murubushi.com-」が検索結果1番で表示される。
(写真:与那国空港を離陸するYS11)

2大検索エンジンの1つYAHOO!でヒットするもんだからアクセス数もかなり多い。

もしかしてSEOってちょろいのか?
それともちょっと不具合がおきただけで次回の更新でまた膨大な検索結果に埋もれるのか?

ただ1つわかった事、どうやら正式名称は「YS-11」と間に「-」が入るのが正しいらしい。。。
でもみんな「ワイエスジュウイチ」と呼んでるから検索する時も「YS11」と入力しちゃうでしょ。

ちなみに「ジャンボ」の相性で呼ばれているボーイング747型機。
747の後ろにつく「-100」「-200」「-300」「-400」とかは型番であって読み方は「ボーイング747ダッシュ400」とかになる。子供の頃は「-」の事を「ダッシュ」と読む事を知らず、「ダッシュ」=「走る」のイメージがあったから「ずいぶんカッコイイ名称を付けたもんだ。」と勘違いしていた。

そして疑問が湧いてきた。「YS-11」も正確に読むと「YSダッシュ11」となるのか?
なんか似合わねーなー!

ついでにもう1つ飛行機の名称ネタ。
我ての大嫌いな飛行機「B-29」。
戦争中、日本全土を火の海にし広島、長崎に原爆を落としたトンデモナイ爆撃機。
ちょっとした飛行機ヲタなら「B-29」はボーイング社が作った飛行機である事は知っているだろう。
そこで単純に思ってしまうのがB-29の「B」はボーイングの「B」じゃないかと言う事。
でも違う。「B-29」の正式名称は「ボーイングB-29」。
アメリカ軍では爆撃機の型番に「B(Bomber)」を付けるので、B-29の「B」はBomberの「B」と言う事になる。
ちなみにジャンボジェットB747の「B」はボーイングの「B」なのでいつも爆撃機に乗って旅行に行く訳ではない。


2008-03-09

異常なまでの食への執着


先日の黒島牛まつり旅行では散々お肉を食べまくった我てだが、タダ1つの心の残りは大好物三枚肉入り沖縄そば(八重山そば)が食べれなかった事。
日がたつにつれ三枚肉への思いはいっそう深まり。
ついに自作した。。。
どうせ作るのならと、1キロの豚バラ肉に大量の泡盛、お土産で買ってきた波照間産黒糖を使い、ひたすら煮込む事数時間。
最後に半熟卵を漬け込み完成(ラフテー=三枚肉?)。
早速わしたで買ってきた八重山そばにのせてトロリといただいた。

我ての食への執着は異常なもので、夜寝る前には明朝何を食べるか。朝食が終われば昼食に何を食べるか。昼食が終われば・・・と1日中脳みその30%程が次に口にするものの事を考えているのである。

2008-02-24

黒島牛まつり2008

意地と執念の必殺技で「おともdeマイル」石垣島直行航空券をGetし牛祭り当日の早朝羽田空港を飛び立つ。眼下には先日漁船衝突事故を起こしたイージス艦「あたご」と思われる船影が朝焼けの中ひっそりと佇んでいた。


日本海側に被害をもたらせた爆弾低気圧の影響か、細かな揺れが続いたフライトで定刻より5分程遅れ10:00ちょうど石垣空港に着陸した。
天候は曇り、気温は摂氏17℃との機内アナウンスのとおり一歩機外に出ると南国特有の湿気を含んだ風が滑っと肌をながれる。
いつもならここで3時間半のロングフライトで固まった体をほぐすべく「ついた~」と思いっきり伸びをする所なのだが今回はそんな余裕はない。誰よりも先に到着ロビーを抜けそのままタクシーに乗り込みすがにぃ邸に隠されている牛祭りのセット券を盗み離島ターミナルへと向かう。
ギリギリセーフで10:30発の石垣ドリーム観光の高速船に飛び乗る事ができた。


高速船で30分。黒島の港に降り立った我てらを向かえてくれたのは「わーりたぼーり2008黒島牛まつり」と書かれた大きな牧草ロール。この前で恒例の記念撮影をし、待合室の裏で一服した後歩いてすぐの牛祭り会場へと向かう。


会場で前日に黒島入りし最前列を確保して待っていてくれた皆様とようやく合流。
今回は「黒島牛まつり会場へ最も似合わない酒ドンペリを空輸せよ」と勝手に名付けたミッションではるばる東京から幾多の苦難(飛行機の中で爆発しないか?その前に液体って持ち込めたっけ?)を乗り越え持参したドンペリを先日バースデイを向かえたこげさんへ進呈。聞けば今回初対面のおくさん&もこさんは昨日入籍を済ませたばかりと言うではないか。これはメデタイと早速開封。
「せーの」「ポーン!」で開けようと思ったのに口金を緩めた瞬間に開いてしまった・・・
機内で冷蔵庫に入れてくれと頼んだあげく断られ、高速船で30分揺られた常温シャンパンの瓶内圧力を考えれば当然か。。。
雰囲気出せずにゴメンナサイ。

というかやっぱり黒島牛祭りと言えばドンペリではなくこれでしょう↓

牛汁!
恐らくこの牛汁は牛を1頭を部位をかまわず切り刻んで鍋に放り込んだと思われ、具には正体不明の臓物系も入った本物の牛汁なのである。
その他ビール、泡盛、ステーキ、モモ肉、コロッケ、焼きそば等々、朝飯を控えていた分爆発的な食欲で完食。
一方牛まつりの方は、おくさん&もこさんが出場し、見事優勝を決め豪華客船クルーズとペア宿泊券をGetしたジャンプでラブロールや牧草ロール転がし、牛との綱引きなどのプログラムが順調に進み歌の部へ。
今年登場したのは我てが10年程前波照間島のニシ浜で野宿をしていた時に拾われ牛の世話やスイカの間引きを手伝う代わりに数日間の寝床と飯を提供してくれた三線の名手後富底周二さん。
ステージ裏で久々に再会し、話し掛けたのだが綺麗サッパリ忘れ去られてた。
緊張してたのかな!?


酒もまわり、おなかも膨れ、名手の歌を聞き、天気も回復して日差しがさすとやる事はお昼寝しかない。
食べすぐに寝ると牛になると言われるが、もう牛になって結構である。
いっそこのまま牛になって黒島で暮らしたい。

一体どれくらい寝ていたのだろうか。
菅にぃに起こされると今日のメインイベント牛が当たる抽選会が始まっていた。
今年の当選牛はこいつ↓

そんな悲しい目で見るなよ・・・
我てが引き取って大事に育ててやるからさっ。
そして大きくなったら・・・

やっぱり悲しい目で見るか。。。

抽選の賞品は牛だけでなくガソリン券や航空券なども用意されていた。
そしてなんといきなりゆみっぺがセット券に付いていた抽選券で4等のガソリン券をGet!
幸先良くスタートをきり、いよいよ1等の牛の抽選が始まった。
「緑の2655番」MC方が当選番号を発表する。
緑とは会場で売っている1,000円分のクーポン券に付いてくる抽選券だ。
ゆみっぺの持っている抽選券を見ると2666番。
おしい11番違いではないか。
もし黒島に上陸した時に一服せずにクーポン券を購入していれば当たったかもしれないのだ・・・
結局1等の牛は石垣島から来た人の手に渡ってしまった。
トラクターに引かれ会場を後にする牛を見て誰かが歌いだした。
「ドナドナド~ナ~ド~ナ~子牛を乗せて~♪」

撤収!

会場から押し寄せた人で長蛇の列となっている桟橋。
八重山観光フェリーや安栄観光は何隻もの臨時便を出し客をさばいているようだ。
そして我てらが石垣ドリーム観光はと言うとなんとフェリードリームがお迎えに来てくれた。おかげてギリギリ1便目に乗船でき長蛇の列とおさらば。そして黒島ともおさらば。


船員に怒られつつも船首に座り込み、青い海の色、暖かい風、照りつける日差しに都会の生活でつく埃を落としてもらう。

石垣到着直後すがにぃの身にとても悲しいアクシデントが起こった。
お悔やみ申し上げます。

落ち込むすがにぃと共に赤瓦の家に戻り荷物を持ってプリン屋さんへプリンを調達しに向かう。その後ホテルにチェックインをし反省会の行われる焼肉屋さんに再集合。

牛祭りの打ち上げはやっぱり牛。
この店で出される石垣牛は超新鮮。
なんとハラミが生のままでも食べられるのだ。
↓写真は特上カルビ(時価)

そして議題はもちろん如何に来年こそ1等の牛を当てるか。
その為の作戦が緻密に練られ反省会ではなく来年に向けての団結会のような宴となった。

「来年もがんばって行くぞー!」

一夜明け翌25日。
早起きしてホテルを出て空港に向かい荷物を預けチェックイン。
12:00発のJTA074便で宮古島経由家路につくのだ。
残された時間はあとわずか。
あわただしく離島ターミナルに引き返し竹富島行きの船に飛び乗る。

青空の下竹富島をしばらくお散歩。
我てはこういう道が大好きだ!
こんな道を歩いているとなんとなく島に体が溶けていくような気がしてくる。

このままずっと・・・

なんて言っていられない。
この道の続きはまた今度にして引き返す。

定刻より20分程遅れてJTA074便は石垣空港を離陸した。
八重山滞在時間26時間20分。
東京に帰るとさっきまで夢を見ていたのではないかと思われる程短い旅行だった。
ただほんのり焼けた顔がちょっと痛いのが夢ではなかった証拠。
JTAさん石垣発の直行便の時間もう少し遅くしてください・・・

最後に
すがにぃ、こげさん、☆、おっきー、おく&もこさん楽しいひとときをありがとう。
また来年もこのメンバー + αで会えると良いですね。
その前に北海道合宿なんて話もありそうですが・・・


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2008-02-16

珍しい電車が止まってた。


朝、駅で電車を待っていたら平行して走る貨物線に珍しい電車がやってきた。
何処で情報を手に入れたのか鉄ヲタの姿もちらほら。
583系寝台電車。
今ではほとんど姿を見かけなくなった走るシーラカンス。
そんな訳で通勤客の迷惑をかえりみず三脚を構えるヲタに混じり携帯でパシャリ。
この車両の希少度が解る我てもその一味だ。


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2008-02-15

亀戸ホルモン


久々に会う波照間キャンプ仲間と亀戸の人気ホルモン屋、
その名も「亀戸ホルモン」へ行って来た。

口コミサイトなどで熱狂的な支持を受けているようで、行列必至の人気店だ。
今日は金曜日と言う事も有り、店の外で旨そうな匂いをかぎながら行列に参加。
我ては遅れていったのでそんなに待たなかったが、
どうやら1時間程並んでくれていたらしい。

感謝!

空腹がピークに達した頃ようやく席に通され早速注文。
・山盛りキャベツ(本当に山盛り)
・豆もやし(これも山盛り)
・レバ刺し(サイコロ切り)
・シマチョウ(トロトロ)
・ハラミ(極厚霜降り)
・ホルモン(ふわふわ)
・上タン塩(厚切りニンニクのせ)
・上ミノ(こりこり)
・ハツ(コリコリ)
・シマチョウ(もう一回)
・ユッケ (まろ~ん)←意味不明

そして極めつけは

オッパイ

メニューにこの文字を見た自称「オッ○イ星人」である我ては戸惑う・・・
念のため店員に「オッパイって何?」と質問し、見間違え、読み間違え、勘違いでない事を確認する。
やはりあの「オッパイ」のようだ。しかも豚ちゃんの。
豚と言えば、人間の臓器に一番近いと言われ医療現場では人の変わりに多々実験台になっているらしい。この世に生を受け30年弱、いままでオッパイを $%&# した事はあっても食べた事はない。これはあきらかに初経験である。
もう変態と呼ばれようがかまわない。
ここで注文しなくてはいつまでたってもオッ○イ星人の○が取れない。
いままで数多のホルモンを食べあさった我ては既に「ハンニバル・我てー」と化していた。

「オッパイください!!」













オッパイ見たい人はこちら↓















オッパイまでもう少し↓















もうオッパイ出ちゃう~















ぼよ~ん!

何やってんだ・・・

とにかくこれがオッパイなのだ。


「味は?」
「歯ごたえは?」


「お子ちゃまには教えられません!」
「お・と・なの味・・・」

バカな事ばかり書いていると本当に変態扱いされそうなのでこの辺でSTOP!
紳士・淑女の皆様、そして不愉快な思いをされた方ゴメンナサイ m(_ _)m

結局、肉禁止週間に突入したとたんに肉をたらふく食べてしまったが、どれもこれもおいしく絶対リピートする事間違えなし!今まで食べてたホルモンがゴムに思えるような強烈な感動受けたのだった。

そして今、1つ気がかりな事。
はたしてあのオッパイはオス・メスどっちのオッパイなんだろう。
今夜は眠れそうにない・・・


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2008-02-12

冬眠暁を覚えず

ぬぉ!
気付いたらもう2月の半ば。
もしや、我ては引きこもっていたのか!?

そろそろ活動再開。

”あけましておめでとうございます♪”


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2008-01-06

初詣と増富温泉


青春18切符を使いご先祖様が祀られる武田神社へ初詣に行く。
つつがなく初詣を済ませた後、再び甲府駅へと戻り中央本線下りにて韮崎駅へ。
そこからさらにバスに揺られること1時間。
信玄の隠し湯として知られる増富温泉へやって来た。

増富温泉は日本一のラジウム温泉。
あまたの病気に効くとの噂もあり、日本各地から湯治客がやってくるらしい。

今回入浴したのは日帰り入浴ができる「増富の湯」
館内にある源泉賭け流しのお風呂は、25度、32度、35度とかなり低め。
そのかわり長時間湯船に浸かる事ができ、効能満点の温泉成分をたっぷり吸収する事ができる。
また、浴室にはサウナもあるのでサウナ好きは水風呂代わりに源泉を利用するのも良い。
増富の湯は一度入場すれば1日中居ても良いので是非長居したい温泉だ。


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2007-12-24

今シーズンの初雪@万座温泉


乾燥してかカサカサボロボロになった肌を潤しに白銀の万座温泉へ行ってきた。
東京ではだんだん冬っぽくなってきたと思うこの頃だったが、万座温泉は雪に埋もれていた。今シーズン初の雪。そして初めてのホワイトクリスマス。
クリスマスに華やかな所へ出掛けるのも良いが、温泉にどっぷり浸かるのもなかなかおつなもんである。
そしてしっかり2008年版「温泉めぐり手形」700円をGetしてきた。
これさえあれば来年は万座温泉の旅館にある風呂が500円で入り放題だ。
万座温泉は近くもなく遠くもなく、温泉はもろ効きそうな白濁色、鼻につく硫黄臭。
かなり我ての理想に近い温泉だ。

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2007-12-02

宮古島(下地島)でタッチ&ゴー@日帰り

先週の石垣行きに続き、今週は宮古島へ行ってきた。
東京から日帰りで・・・(汗)

今まで宮古島へは飛行機の乗り継ぎや、船の寄港等で足を下ろしたことはあったが、実際に島内を観光した事は一度も無い。
そんな訳で、今年中に使わないと消えてしまう2,000マイルのために、10,000マイルの大マイを叩いておともdeマイル宮古島直行便を気合で予約したのだ。

1週間に2度も沖縄の離島に行くとは、我ながらアホを通り越してキチガイである。。。

前回、石垣での雨が嘘のように雲ひとつ無い快晴の宮古島に東京6:55発、宮古島10:15着のJTA021便にて降り立った我ては、すぐさま予約をしていたレンタカー屋へと向かった。

すると、軽自動車で予約していたはずなのに、小型乗用車が配車され、
「お値段は軽の価格で結構ですから・・・」
などと親切そうなことを言ってくる。
ここは「ラッキー」と考えるのが普通だが、今回に限るとそうではない。
我てはあえて軽自動車を予約していたのだ。
しかし、駐車場に軽の姿は見当たらなく、ここでゴタゴタ言ってもラチがあかなそうなので、スズキのスイフトを借りて平良港へとかっ飛ばす。

なぜ軽を借りたかったかと言うと理由は↑これ。
ずっと前から行きたかった日本で唯一の民間旅客機訓練施設がある下地島に渡るためにレンタカーごと船に乗り込む予定だったのだ。下地島にもレンタカー屋があるようなのだが、宮古島で借りた軽で渡ってしまえばフェリー代の方が安くつくし、今回は時間が無いので2社あるフェリー会社(宮古フェリー・はやて海運)を行きと帰りで使い分けるため往復割引を適用できない事情があり、軽と乗用車では1,000円も運賃が違ってくるのだ。
そんなんだったら、頻繁に出ている高速船で下地島に渡り、向こうでレンタカーを借りた方が時間に余裕が持てたのに・・・などと、日帰りゆえの悲しい思いが頭をよぎる。

11時40分我てらを乗せた宮古フェリーの「フェリーゆうむつ」は波穏やかな平良港を出航し伊良部島佐良浜港へと向かった。
乗船時間は25分。船上では港で買い込んだケチャップライスポーク弁当と沖縄焼きそば弁当を食べ昼飯とする。

ちょうど飯を食べ終わる頃、船は伊良部島の佐良浜港に到着した。
我ての理論「島一周は時計回りで(左側通行なので時計回りの方が海が見える)」に基づき、車を走らせる。途中、訓練中と思える機影が見えた。
その瞬間、我ては南風滑走路Rwy(ランウェイ)17が使用されている事を一瞬にして悟った。
宮古空港到着時の使用滑走路から絶望視していたRwy17の使用。
どうしてここまで、Rwy17にこだわるのか。
マニアとは、凡人にはどうでもよい事を、とことんこだわる人間である。
下地島空港の場合。Rwy17の反対側であるRwy35のエンド(滑走路の端)は陸地の中にあり、よく目にするエメラルドグリーンの海の上を着陸してくる飛行機の写真はRwy17エンドにて撮影された物なのだ。
つまり、あの誘導灯の上を飛んで、機体の裏に海の色が反射している写真を撮る為にはRwy17が使用される南風の時でないといけないのだ。

我てはアクセルを深く踏み込み、与那国島の某レンタカー屋のおっさんもビックリなスピード(これまたマニアックな例えでゴメンナサイ)で伊良部島から下地島へと渡った。途中、ビーチや通り池などの観光スポットもあったがほとんど無視。
そしてRwy17エンドに車を止めるや、カメラを握り猛ダッシュ。
それでしとめた写真がこれ↓

この写真を見て、飛行機が小さいと思ったあなた。
確かにその通り。(他の写真はもっと小さかった)
ここに映っているのはB737ではなく、B777だorz
それにしてはあまりに小さい。
しかも、オートフォーカスの使用がモロばれな写真である。
お粗末としか言い様が無い。

だが、実際には250キロ近いスピードで接近してくる旅客機の写真を間近で撮るのはかなりの難易度を要する。さらに下地島空港の場合、水平線の角度や、海面と空と誘導灯とのバランスまで考えてシャッターを押さなければならないのだ。
近頃カメラにふれる事の少なくなった我てには、マニュアルフォーカスでピントを合わつつ、これら全てに気を配るなど到底出来る訳が無い。(時間があって何度もトライすれば1枚くらいは当たると思うが)
そして、超広角レンズと、PLフィルターを持ってきていなかったのが悔やまれる・・・
さらに、反対側から撮った方が誘導灯が赤く、コントラストが良かった。(逆光になるかと思ったのと、反対側の誘導灯の方が赤いのは帰ってきてから気が付いた)

----- 言い訳が長くなりそうなので、この辺で辞めにする。 -----

今度行く時は絶対バシッと決めてやる。
そう心に決めた我てであったが、このシーンを見るのに、かなりの幸運が必要だった事をここに記そう。
・宮古島直行便の予約が取れた(いつも全然取れない)
・雲ひとつない快晴だった。(最近、雨男または嵐男ではないかと思われる)
・いつやるかわからない訓練が行われていた。(10分程しか撮影時間が無かった)
・風向きが変わり南風の滑走路が使用されてた。(たぶん冬は北風が多いと思う)

この日はもろ横風着陸であったため、進入してくる飛行機が風に流され横滑りしているのが良くわかる。そして轟音とともに頭上を通り過ぎた飛行機が滑走路に着陸する。

↑見よこの角度。横風を受け滑走路に真っ直ぐ進入できず、かなり滑走路の向きとずれている。ここでパイロットは「エイヤ!」とラダーペダルかなんかを踏み込み、機首を滑走路に正対させる。
この時「キュキュキュキュキュー」とタイヤのすれる音が間近にいる我ての耳に聞こえてくる。
そして
「えっ!?」
「エンジン全快ーぃ!?」
「おっ!?」
「(羽の上にある)スポイラー(エアブレーキ)が立たないぞ!?」
などと思っているうちに機首を上げ再び大空へtakeoff!
「タッチアンドゴー見ちゃったー!」
と、思わず感激する我てだが、一般人には理解してもらえないどころか、怪しく思われるだけであろう。
「軍用機ではなく、旅客機のタッチアンドゴーなんてなかなか見れないもんなんだぞ」なんて解説した所で、「別に見たくないし」と言われればそれまでである。

そんな訳で、一瞬の滞在時間にもかかわらず、下地島(空港)の見所を押さえることが出来たので、再び港に向け車を走らせた。

13時10分のフェリーで宮古島へ戻る。
次に寄ったのは有名な砂山ビーチ。

ここは観光ガイドなどでよく目にする穴のあいた岩があるビーチだが、手前の砂山の上から見た海の色がとても綺麗だった。

その後、
西平安名崎 → 池間大橋 → 吉野海岸 → 東平安名崎 → 池間大橋 → 池間島 → 前浜ビーチ
と有名スポットを巡り宮古市内へと戻ってきた訳だが、前半色々書きすぎて疲れたのと、途中でカメラのモードダイヤルが勝手に回りシャッタースピード優先モードの1/4000秒とかいう馬鹿みたいな数値になってほとんどの写真が露出アンダーになってしまっていたので載せられる写真が無い。

これだからモードダイヤルの付いている安物のカメラは気に食わん!
(それにしばらく気付かないの事がかなりの問題だが)


あたりも暗くなり、最後に立ち寄ったのが「宮古そば古謝本店」

宮古島のそば屋で一番の老舗らしく、メニューの一番上に書いてあった店員一押しの
うやきそば(写真右)
野菜そば(写真左)
を注文。
うやきそばはソーキ、三枚肉、てびち、軟骨が入った肉そばで、どのお肉も口の中で溶けるほどやわらかく絶品。特に軟骨は初めて食べたが旨かった。別名は金持ちそば。
一方、野菜そば(名前があったが忘れた)はたっぷりの野菜が麺の下に隠れおでんの様な具も入っていてとてもヘルシー。肉も結構入ってた。別名は健康そば。

ここでビールが飲みたい所だが、車を返さないといけないのでグッとこらえ、変わりに島唐辛子を泡盛で付けた激辛調味料コーレグースをたっぷり掛けてそばをいただいた。

その後、ガソリンスタンド大渋滞などのハプニングもあったが、無事に車を返却し宮古空港に戻った我てらは出発ロビー脇にある「ぱいぱいのむら」(名前がいい)でオリオン生を流し込み、19時50分発JTA022便で宮古の地を離れた。

今回、初めて宮古島を訪れた訳だが、1日かけレンタカーで周るのに調度良い大きさの島である事がわかった。なんて事を言ったら宮古島の人や宮古島愛好家の方々に怒られそうだが、日帰り男のたわ言として聞き流してください。ただ、今回の我てらのように下地島に行くと結構ハードな行動を強いられるのは言うまでもない。でもまた行きたい下地島。


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2007-11-26

ふらり石垣島の旅


こんなタイトルをつけると優雅そうな響きではあるが、もう少し正確なタイトルを付けるとすれば「ふらふら石垣島の旅」となるのであろうか。。。
自称、石垣船籍の貨客船を名乗る我ては、1泊2日の滞在ではあったが実に1年10ヶ月ぶりとなる母港の石垣港に帰港した。
奇跡的とも言える「おともdeマイル」石垣直行便の予約に全ての運を使い切ったかのようなあいにくの天候で、日々の都会生活で溜まった「垢」や「錆び」や「ストレス」を石垣の青い空と青い海で洗い流そうと思っていたのが、横殴りの雨と北から吹きつける強風で無理やり洗い流されたといった感じだった。
せっかく石垣島民のすがにぃが連れて行ってくれた島一周ドライブも、我ての脳裏に焼き付いているはずのエメラルドグリーンの海がグレーに変色してしまいそうな天気だったので、途中で引き返し、赤瓦の下、赤いボジョレーヌーヴォーで昼過ぎから乾杯する事にした。

夕刻、ふらついた足取りでかねてからリクエストしていた石垣牛を食べに行く。
レバ刺し、ユッケに始まり、炭火で焼くスジ、あかせん、海鮮、極めつけは特選カルビ。
それはそれは至福のひと時で、身も心もお腹も一杯になったのでした。
(写真のシチュエーションは当事者だけの秘密です。)

その後、モスのシェイクをズルズル飲みながら赤瓦の家にたどり着くなり爆睡する事・・・
10時間。
翌朝、大量睡眠のおかげか二日酔にはならなかったものの、布団の用意がされているのを良い事に家の主をそっちのけで爆睡してしまい本当にゴメンナサイ。

今回は滞在時間26時間の内10時間寝て、残りのほとんどの時間を酔って過ごす充実した旅でした。
30分だけ竹富島に行ったし。
「えっ?竹富島に何しに行ったかって?」
「それは大きなガラスの浮きを探しに行ったのさ!」
「もちろん無かったけど・・・」

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2007-11-06

運び屋は仙台へ行く。。。


久々に出張る。
行き先は杜の都仙台。
今回のmissionは仙台某所にて、渡す物を渡し、もらう物をもらってくる事。
ただそれだけ。。。
滞在時間約20分。
お駄賃と称してもらったわずかなお金で帰りの新幹線車内でビールを飲み。
お土産に買ったはずの笹かまはつまみと消えた。
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2007-09-23

インド旅行記動物編@サファリパーク?


インドにはいろんな動物がいた。
と言うより、いらっしゃった。

野生動物の中で人々の生活が営まれていた。
動物たちが人間のように生活を営んでいた。
インド人と野生動物はパートナーだった。

いまいち哲学的になれなかった我ては、そのどれが正しいのか
判らないが、とにかく身の回りに日本ではありえない動物が
行動を共にしていた。

牛、猿、羊、馬、鳥、犬、豚、鼠、山羊、象、駱駝、インド人
これだけで干支が作れてしまう。

日本の動物園で見られるだけの動態展示物より、インドで働いている
動物を間近に見る方がサファリパークよりおもしろいし、スリリングだ。

ちょっとでもボーッとしようものならたちまち、牛に突付かれ、ラクダに
蹴散らされ、象に踏みにじられ、インド人に集られるであろう。

東京ディ○ニーランドの隣り辺りに、東京インディーランドを作り、
ビザを買って入場し、お金をルピーに両替して、従業員はみんなインド人、
レストランはもちろんカレーばかりで、ホテルは良く停電し、道にはリクシャ
が走り回り、そこら中に動物がいる。
そんなテーマパークがあったらきっとミッキーからも客を奪えるのではない
かと真剣に考えてしまう程、インドとはメルヘンチック?なカントリーなので
ある。


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2007-09-22

インド旅行記食べ物編@つまりカレー


インドでは朝、昼、晩、食事の度に必ずカレーが登場する。
「そんな大袈裟な!」
と言う方、インドに行ってみてください。。。

インドに行った事があって、
「それは間違っている!」
と言う方、もう少し正確に書くと
インドでは食事の度に必ず、
カレーか
カレー味の何かか
カレー風味の何か
が登場する。(納得してくれる?)

カレー以外の食べ物はないのか?
あるにはある、
カレーにつけて食べる物、
カレーと混ぜて食べる物、
その他、単体では主食にならないもの、
果物、水、酒。(後者2つは飲み物か?)
インドでは、カレーをおかずにカレーを食べ、
ある時はカレーにカレーを混ぜ(皿の上で勝手に混ざってしまう)毎食の栄養
を摂取するのだ。

こんな事もあった。
売店で水を買い、お釣りの1ルピーの変わりにもらった飴玉が
カレー味だった。。。

きっとインド料理のレシピ本なんかを見たりすると、どの料理も必ず原材料に
カレー粉・・・適量
などと記されているのだろう。(インドにカレー粉があるかどうか知らんが)

ベナレスに夜行列車で着き、ホテルにチェックインを済ませ食堂へ向かうと
当然の如く朝からカレー。しかも食べ放題(バイキング)。
車内で飲みすぎ、少し胃がムカムカしていた我ては、朝からインドの油っこい
カレーを食す気になれず、第2の主食「ビール」を注文すると。
「なんだこいつ朝から酒飲むのかよ!」
「ワァオ!」
みたいな事を言い出す。(ヒンドゥー教はあまり酒を善しとしないらしい)
すかさず「何か問題でも?」
と切り返すと
「ノープロブレム」
と言って奥から生ぬるいビールを持ってきた。
インドホテルの朝飯に、白いご飯と納豆、味噌汁は期待しないが、
せめてカレーじゃなくて、もう少しモーニングっぽい物はないのかよ!
とか言いながら日本では朝からカレーやカレーうどんなんかをよく食べる。

だんだん何を書けばよいのか、わからなくなってしまった・・・
つまり、我てはカレーが大好きなんだけど、この時はインドのカレーに負け、
酒に救いを求めてしまったのだ。と、言いたいのであろう。

とにかく、簡単に書くと、
「インドでカレーのような味がする物を一切食べない。」
などと心に決めてしまうと、すなわちそれは絶食を意味する事になる。
それほどまでにインドでは「カレーの七変化」、もしくは「カレーの三段活用」的な
食生活を送ったのである。

< 後日談 >
帰りの機内、これで「カレーともしばらくおさらばじゃ」などと思いながらエアインディア
の機内食を食べてから数日後。
なぜか無性に日本風のカレーが食べたくなり、行きつけの立ち食い蕎麦屋でカレー
蕎麦を食べる。
それからさらに数日後、家のフライパンでナンを焼き、インド風カレーを自分で作り、
右手のみでカレーを綺麗に食べる練習をしだした自分が怖い・・・
ここまでカレー・カレー・カレーと連呼すると、検索サイトでカレーを検索すると
上位に表示されてしまうかもしれない。。。(か、スパムとみなされるか・・・)


---以下、食事中の人(特にカレー)、下ネタがキライな人は読まないで下さい ---

我が家に帰り、やり慣れたトイレでう○ちをすると、どこからか、なつかしい臭いが
漂ってきた。
それは紛れも無く自分のう○ちから発せられるマサラ(カレーのスパイス)の臭い
だった。。。


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