2007-12-24

今シーズンの初雪@万座温泉


乾燥してかカサカサボロボロになった肌を潤しに白銀の万座温泉へ行ってきた。
東京ではだんだん冬っぽくなってきたと思うこの頃だったが、万座温泉は雪に埋もれていた。今シーズン初の雪。そして初めてのホワイトクリスマス。
クリスマスに華やかな所へ出掛けるのも良いが、温泉にどっぷり浸かるのもなかなかおつなもんである。
そしてしっかり2008年版「温泉めぐり手形」700円をGetしてきた。
これさえあれば来年は万座温泉の旅館にある風呂が500円で入り放題だ。
万座温泉は近くもなく遠くもなく、温泉はもろ効きそうな白濁色、鼻につく硫黄臭。
かなり我ての理想に近い温泉だ。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-12-02

宮古島(下地島)でタッチ&ゴー@日帰り

先週の石垣行きに続き、今週は宮古島へ行ってきた。
東京から日帰りで・・・(汗)

今まで宮古島へは飛行機の乗り継ぎや、船の寄港等で足を下ろしたことはあったが、実際に島内を観光した事は一度も無い。
そんな訳で、今年中に使わないと消えてしまう2,000マイルのために、10,000マイルの大マイを叩いておともdeマイル宮古島直行便を気合で予約したのだ。

1週間に2度も沖縄の離島に行くとは、我ながらアホを通り越してキチガイである。。。

前回、石垣での雨が嘘のように雲ひとつ無い快晴の宮古島に東京6:55発、宮古島10:15着のJTA021便にて降り立った我ては、すぐさま予約をしていたレンタカー屋へと向かった。

すると、軽自動車で予約していたはずなのに、小型乗用車が配車され、
「お値段は軽の価格で結構ですから・・・」
などと親切そうなことを言ってくる。
ここは「ラッキー」と考えるのが普通だが、今回に限るとそうではない。
我てはあえて軽自動車を予約していたのだ。
しかし、駐車場に軽の姿は見当たらなく、ここでゴタゴタ言ってもラチがあかなそうなので、スズキのスイフトを借りて平良港へとかっ飛ばす。

なぜ軽を借りたかったかと言うと理由は↑これ。
ずっと前から行きたかった日本で唯一の民間旅客機訓練施設がある下地島に渡るためにレンタカーごと船に乗り込む予定だったのだ。下地島にもレンタカー屋があるようなのだが、宮古島で借りた軽で渡ってしまえばフェリー代の方が安くつくし、今回は時間が無いので2社あるフェリー会社(宮古フェリー・はやて海運)を行きと帰りで使い分けるため往復割引を適用できない事情があり、軽と乗用車では1,000円も運賃が違ってくるのだ。
そんなんだったら、頻繁に出ている高速船で下地島に渡り、向こうでレンタカーを借りた方が時間に余裕が持てたのに・・・などと、日帰りゆえの悲しい思いが頭をよぎる。

11時40分我てらを乗せた宮古フェリーの「フェリーゆうむつ」は波穏やかな平良港を出航し伊良部島佐良浜港へと向かった。
乗船時間は25分。船上では港で買い込んだケチャップライスポーク弁当と沖縄焼きそば弁当を食べ昼飯とする。

ちょうど飯を食べ終わる頃、船は伊良部島の佐良浜港に到着した。
我ての理論「島一周は時計回りで(左側通行なので時計回りの方が海が見える)」に基づき、車を走らせる。途中、訓練中と思える機影が見えた。
その瞬間、我ては南風滑走路Rwy(ランウェイ)17が使用されている事を一瞬にして悟った。
宮古空港到着時の使用滑走路から絶望視していたRwy17の使用。
どうしてここまで、Rwy17にこだわるのか。
マニアとは、凡人にはどうでもよい事を、とことんこだわる人間である。
下地島空港の場合。Rwy17の反対側であるRwy35のエンド(滑走路の端)は陸地の中にあり、よく目にするエメラルドグリーンの海の上を着陸してくる飛行機の写真はRwy17エンドにて撮影された物なのだ。
つまり、あの誘導灯の上を飛んで、機体の裏に海の色が反射している写真を撮る為にはRwy17が使用される南風の時でないといけないのだ。

我てはアクセルを深く踏み込み、与那国島の某レンタカー屋のおっさんもビックリなスピード(これまたマニアックな例えでゴメンナサイ)で伊良部島から下地島へと渡った。途中、ビーチや通り池などの観光スポットもあったがほとんど無視。
そしてRwy17エンドに車を止めるや、カメラを握り猛ダッシュ。
それでしとめた写真がこれ↓

この写真を見て、飛行機が小さいと思ったあなた。
確かにその通り。(他の写真はもっと小さかった)
ここに映っているのはB737ではなく、B777だorz
それにしてはあまりに小さい。
しかも、オートフォーカスの使用がモロばれな写真である。
お粗末としか言い様が無い。

だが、実際には250キロ近いスピードで接近してくる旅客機の写真を間近で撮るのはかなりの難易度を要する。さらに下地島空港の場合、水平線の角度や、海面と空と誘導灯とのバランスまで考えてシャッターを押さなければならないのだ。
近頃カメラにふれる事の少なくなった我てには、マニュアルフォーカスでピントを合わつつ、これら全てに気を配るなど到底出来る訳が無い。(時間があって何度もトライすれば1枚くらいは当たると思うが)
そして、超広角レンズと、PLフィルターを持ってきていなかったのが悔やまれる・・・
さらに、反対側から撮った方が誘導灯が赤く、コントラストが良かった。(逆光になるかと思ったのと、反対側の誘導灯の方が赤いのは帰ってきてから気が付いた)

----- 言い訳が長くなりそうなので、この辺で辞めにする。 -----

今度行く時は絶対バシッと決めてやる。
そう心に決めた我てであったが、このシーンを見るのに、かなりの幸運が必要だった事をここに記そう。
・宮古島直行便の予約が取れた(いつも全然取れない)
・雲ひとつない快晴だった。(最近、雨男または嵐男ではないかと思われる)
・いつやるかわからない訓練が行われていた。(10分程しか撮影時間が無かった)
・風向きが変わり南風の滑走路が使用されてた。(たぶん冬は北風が多いと思う)

この日はもろ横風着陸であったため、進入してくる飛行機が風に流され横滑りしているのが良くわかる。そして轟音とともに頭上を通り過ぎた飛行機が滑走路に着陸する。

↑見よこの角度。横風を受け滑走路に真っ直ぐ進入できず、かなり滑走路の向きとずれている。ここでパイロットは「エイヤ!」とラダーペダルかなんかを踏み込み、機首を滑走路に正対させる。
この時「キュキュキュキュキュー」とタイヤのすれる音が間近にいる我ての耳に聞こえてくる。
そして
「えっ!?」
「エンジン全快ーぃ!?」
「おっ!?」
「(羽の上にある)スポイラー(エアブレーキ)が立たないぞ!?」
などと思っているうちに機首を上げ再び大空へtakeoff!
「タッチアンドゴー見ちゃったー!」
と、思わず感激する我てだが、一般人には理解してもらえないどころか、怪しく思われるだけであろう。
「軍用機ではなく、旅客機のタッチアンドゴーなんてなかなか見れないもんなんだぞ」なんて解説した所で、「別に見たくないし」と言われればそれまでである。

そんな訳で、一瞬の滞在時間にもかかわらず、下地島(空港)の見所を押さえることが出来たので、再び港に向け車を走らせた。

13時10分のフェリーで宮古島へ戻る。
次に寄ったのは有名な砂山ビーチ。

ここは観光ガイドなどでよく目にする穴のあいた岩があるビーチだが、手前の砂山の上から見た海の色がとても綺麗だった。

その後、
西平安名崎 → 池間大橋 → 吉野海岸 → 東平安名崎 → 池間大橋 → 池間島 → 前浜ビーチ
と有名スポットを巡り宮古市内へと戻ってきた訳だが、前半色々書きすぎて疲れたのと、途中でカメラのモードダイヤルが勝手に回りシャッタースピード優先モードの1/4000秒とかいう馬鹿みたいな数値になってほとんどの写真が露出アンダーになってしまっていたので載せられる写真が無い。

これだからモードダイヤルの付いている安物のカメラは気に食わん!
(それにしばらく気付かないの事がかなりの問題だが)


あたりも暗くなり、最後に立ち寄ったのが「宮古そば古謝本店」

宮古島のそば屋で一番の老舗らしく、メニューの一番上に書いてあった店員一押しの
うやきそば(写真右)
野菜そば(写真左)
を注文。
うやきそばはソーキ、三枚肉、てびち、軟骨が入った肉そばで、どのお肉も口の中で溶けるほどやわらかく絶品。特に軟骨は初めて食べたが旨かった。別名は金持ちそば。
一方、野菜そば(名前があったが忘れた)はたっぷりの野菜が麺の下に隠れおでんの様な具も入っていてとてもヘルシー。肉も結構入ってた。別名は健康そば。

ここでビールが飲みたい所だが、車を返さないといけないのでグッとこらえ、変わりに島唐辛子を泡盛で付けた激辛調味料コーレグースをたっぷり掛けてそばをいただいた。

その後、ガソリンスタンド大渋滞などのハプニングもあったが、無事に車を返却し宮古空港に戻った我てらは出発ロビー脇にある「ぱいぱいのむら」(名前がいい)でオリオン生を流し込み、19時50分発JTA022便で宮古の地を離れた。

今回、初めて宮古島を訪れた訳だが、1日かけレンタカーで周るのに調度良い大きさの島である事がわかった。なんて事を言ったら宮古島の人や宮古島愛好家の方々に怒られそうだが、日帰り男のたわ言として聞き流してください。ただ、今回の我てらのように下地島に行くと結構ハードな行動を強いられるのは言うまでもない。でもまた行きたい下地島。


<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-11-26

ふらり石垣島の旅


こんなタイトルをつけると優雅そうな響きではあるが、もう少し正確なタイトルを付けるとすれば「ふらふら石垣島の旅」となるのであろうか。。。
自称、石垣船籍の貨客船を名乗る我ては、1泊2日の滞在ではあったが実に1年10ヶ月ぶりとなる母港の石垣港に帰港した。
奇跡的とも言える「おともdeマイル」石垣直行便の予約に全ての運を使い切ったかのようなあいにくの天候で、日々の都会生活で溜まった「垢」や「錆び」や「ストレス」を石垣の青い空と青い海で洗い流そうと思っていたのが、横殴りの雨と北から吹きつける強風で無理やり洗い流されたといった感じだった。
せっかく石垣島民のすがにぃが連れて行ってくれた島一周ドライブも、我ての脳裏に焼き付いているはずのエメラルドグリーンの海がグレーに変色してしまいそうな天気だったので、途中で引き返し、赤瓦の下、赤いボジョレーヌーヴォーで昼過ぎから乾杯する事にした。

夕刻、ふらついた足取りでかねてからリクエストしていた石垣牛を食べに行く。
レバ刺し、ユッケに始まり、炭火で焼くスジ、あかせん、海鮮、極めつけは特選カルビ。
それはそれは至福のひと時で、身も心もお腹も一杯になったのでした。
(写真のシチュエーションは当事者だけの秘密です。)

その後、モスのシェイクをズルズル飲みながら赤瓦の家にたどり着くなり爆睡する事・・・
10時間。
翌朝、大量睡眠のおかげか二日酔にはならなかったものの、布団の用意がされているのを良い事に家の主をそっちのけで爆睡してしまい本当にゴメンナサイ。

今回は滞在時間26時間の内10時間寝て、残りのほとんどの時間を酔って過ごす充実した旅でした。
30分だけ竹富島に行ったし。
「えっ?竹富島に何しに行ったかって?」
「それは大きなガラスの浮きを探しに行ったのさ!」
「もちろん無かったけど・・・」

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-11-06

運び屋は仙台へ行く。。。


久々に出張る。
行き先は杜の都仙台。
今回のmissionは仙台某所にて、渡す物を渡し、もらう物をもらってくる事。
ただそれだけ。。。
滞在時間約20分。
お駄賃と称してもらったわずかなお金で帰りの新幹線車内でビールを飲み。
お土産に買ったはずの笹かまはつまみと消えた。
<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-23

インド旅行記動物編@サファリパーク?


インドにはいろんな動物がいた。
と言うより、いらっしゃった。

野生動物の中で人々の生活が営まれていた。
動物たちが人間のように生活を営んでいた。
インド人と野生動物はパートナーだった。

いまいち哲学的になれなかった我ては、そのどれが正しいのか
判らないが、とにかく身の回りに日本ではありえない動物が
行動を共にしていた。

牛、猿、羊、馬、鳥、犬、豚、鼠、山羊、象、駱駝、インド人
これだけで干支が作れてしまう。

日本の動物園で見られるだけの動態展示物より、インドで働いている
動物を間近に見る方がサファリパークよりおもしろいし、スリリングだ。

ちょっとでもボーッとしようものならたちまち、牛に突付かれ、ラクダに
蹴散らされ、象に踏みにじられ、インド人に集られるであろう。

東京ディ○ニーランドの隣り辺りに、東京インディーランドを作り、
ビザを買って入場し、お金をルピーに両替して、従業員はみんなインド人、
レストランはもちろんカレーばかりで、ホテルは良く停電し、道にはリクシャ
が走り回り、そこら中に動物がいる。
そんなテーマパークがあったらきっとミッキーからも客を奪えるのではない
かと真剣に考えてしまう程、インドとはメルヘンチック?なカントリーなので
ある。


<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-22

インド旅行記食べ物編@つまりカレー


インドでは朝、昼、晩、食事の度に必ずカレーが登場する。
「そんな大袈裟な!」
と言う方、インドに行ってみてください。。。

インドに行った事があって、
「それは間違っている!」
と言う方、もう少し正確に書くと
インドでは食事の度に必ず、
カレーか
カレー味の何かか
カレー風味の何か
が登場する。(納得してくれる?)

カレー以外の食べ物はないのか?
あるにはある、
カレーにつけて食べる物、
カレーと混ぜて食べる物、
その他、単体では主食にならないもの、
果物、水、酒。(後者2つは飲み物か?)
インドでは、カレーをおかずにカレーを食べ、
ある時はカレーにカレーを混ぜ(皿の上で勝手に混ざってしまう)毎食の栄養
を摂取するのだ。

こんな事もあった。
売店で水を買い、お釣りの1ルピーの変わりにもらった飴玉が
カレー味だった。。。

きっとインド料理のレシピ本なんかを見たりすると、どの料理も必ず原材料に
カレー粉・・・適量
などと記されているのだろう。(インドにカレー粉があるかどうか知らんが)

ベナレスに夜行列車で着き、ホテルにチェックインを済ませ食堂へ向かうと
当然の如く朝からカレー。しかも食べ放題(バイキング)。
車内で飲みすぎ、少し胃がムカムカしていた我ては、朝からインドの油っこい
カレーを食す気になれず、第2の主食「ビール」を注文すると。
「なんだこいつ朝から酒飲むのかよ!」
「ワァオ!」
みたいな事を言い出す。(ヒンドゥー教はあまり酒を善しとしないらしい)
すかさず「何か問題でも?」
と切り返すと
「ノープロブレム」
と言って奥から生ぬるいビールを持ってきた。
インドホテルの朝飯に、白いご飯と納豆、味噌汁は期待しないが、
せめてカレーじゃなくて、もう少しモーニングっぽい物はないのかよ!
とか言いながら日本では朝からカレーやカレーうどんなんかをよく食べる。

だんだん何を書けばよいのか、わからなくなってしまった・・・
つまり、我てはカレーが大好きなんだけど、この時はインドのカレーに負け、
酒に救いを求めてしまったのだ。と、言いたいのであろう。

とにかく、簡単に書くと、
「インドでカレーのような味がする物を一切食べない。」
などと心に決めてしまうと、すなわちそれは絶食を意味する事になる。
それほどまでにインドでは「カレーの七変化」、もしくは「カレーの三段活用」的な
食生活を送ったのである。

< 後日談 >
帰りの機内、これで「カレーともしばらくおさらばじゃ」などと思いながらエアインディア
の機内食を食べてから数日後。
なぜか無性に日本風のカレーが食べたくなり、行きつけの立ち食い蕎麦屋でカレー
蕎麦を食べる。
それからさらに数日後、家のフライパンでナンを焼き、インド風カレーを自分で作り、
右手のみでカレーを綺麗に食べる練習をしだした自分が怖い・・・
ここまでカレー・カレー・カレーと連呼すると、検索サイトでカレーを検索すると
上位に表示されてしまうかもしれない。。。(か、スパムとみなされるか・・・)


---以下、食事中の人(特にカレー)、下ネタがキライな人は読まないで下さい ---

我が家に帰り、やり慣れたトイレでう○ちをすると、どこからか、なつかしい臭いが
漂ってきた。
それは紛れも無く自分のう○ちから発せられるマサラ(カレーのスパイス)の臭い
だった。。。


<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-21

インド旅行駆け足編@家路

ついにインド最終日。
2泊したジャイプールのホテルとも今日でお別れ。

このホテル、部屋にあるトイレの水が止まらなくて困った。。。

最初は(昨日の話)
「まっ、流れないよりましか♪」
などと思い、掛け流しトイレを満喫していたが、だんだん水量が少なくなり、
「ごごごごごご・・・・」っと「もう水ありません!」
状態の音に変わってきたので、ホテルの貯水タンクが空っぽになったらレストランやらシャワー(ぬるま湯しか出ません)が困るだろうと思い、フロントへその旨を伝えると、ホテル在住の何でも屋さんらしき人がペンチ持参で部屋にやってきて、トイレの流水ボタンを「ギコギコ」。
「ノープロブレム」
と言って修理は完了した。
それはシロートの我てから見ても、へこんだままの流水ボタンをペンチで引っ張り戻しただけ。
「治った」ではなく「止めた」なのだ。
ためしに、「もう一回水を流してみ?」と言うと。
案の定水は止まらない。
再び流水ボタンを分解したホテルの何でも屋さんは、こんどは激しく「ギコギコ」とボタンを押し引きし、多少ボタンの滑りがよくなった所で、
必殺「ノープロブレム」
確かに水は止まるようになっていた。。。
もちろんその後チップを要求するかのように部屋から離れようとしなかったが、我てが壊した訳でもないので追い返した。

結局、次に用を足しトイレの水を流した時に水は止まらなかったのだが、そのまま一晩を明かしてそそくさとチェックアウト。
きっと、すぐさまあの応急処置を施し次の客を迎え入れるのであろう。
我てには関係ないが、ホテルの従業員も関係ないのである。
(運がよければチップがもらえるかもしれないけど)

前置きが長くなったが、今日はジャイプールから、夕方飛び立つエアインディアへ乗るためデリーへ移動するだけの日。
ホテルを車で出発してまもなく、渋滞に捕まった。

見てのとおり象の渋滞。

普段、やたらクラクションを鳴らし爆走する運転手も、おとなしく象の渋滞最後尾でノロノロ車を走らす。
きっと象をアオッタあげく、切れた象に車を踏み潰されるのが怖いのであろう。

らちがあかないので車を止めて近くの屋台でなにやら買ってきた。

グリーン唐辛子の天ぷら。

一口かじると後から「ビリ~」っと辛さが口の中に広がる。
しかし、東京のインド料理屋で、店員のインド人に
「インド人もそんなに辛いカレーは食べな~い」
(韓国料理店でも同じような事を言われる)
と言われる程、甘いも辛いも食べ物である限り何でも大丈夫な我て。
普通に完食すると、なんだかつまらなそう。

「もしかして、昨日はしゃいでた昔インド村を、楽しみ途中に帰らせた恨みか?」

とも思えてくる。
日本人みんなが辛い物は苦手と思っちゃいかんよ!
我てみたいな鈍感味音痴もいるんよ!

その後、数時間黙々と運転しつづけ夕刻、無事デリーのインデラガンジー国際空港に到着した。
帰る日の空港は何時も何処でも寂しい気分にさせてくれる。
今までずっと付き合ってくれたガイドに心ばかりのお礼と、ドライバーにもチップを渡し出発ロビーへと荷物を運び込む。

搭乗ゲートの決まらぬままチェックインを済ませ、やる事もなく空港内をウロウロしながらあまったルピーでお土産を買う。
とうとう、やる事も無くなり、ルピーも無くなった頃、搭乗ゲートが決まり待合室で待つことしばし。
予定出発時間直前に到着したエアインディア機は、若干の客を吐き出すと、すぐさま我てら新客を機内へ案内する。
「絶対清掃なんてしてなさそう・・・」
席に付くと、ウェルカムドリンクならぬ、ウェイティングドリンク(コレ飲んで飛ぶまで待っとれドリンク)が配られおとなしく待つ。

さらにまた喉が渇くくらい待つ。

ふと窓の外に目をやると、肩に4本の金スジが入った制服を着る機長らしき人物が、右主翼の端にある第4エンジンを腰に手を当て見上げている。

しばらくすると、脚立を持ったつなぎ服のインド人(整備士?)が現れ、ドライバーらしき物を手にエンジン周りで作業を始める。

きっとホテルの何でも屋のような作業を行っているのだろう。

整備士「ノープロブレム」
機長「そこちょっとプロブレム」

おそらくこんな会話がされているに違いない。

まっ、旅行の最終日はいつも、
「明日からまたがんばってバリバリ働こう!」

などと心に決めるわけなく、
「このまま死んでも良いか~」

状態の幸福感につつまれている我ては気楽にこの光景を眺めていた。

結局このエアインディアがインドの地を離れたのはすっかり暗くなり、夕立の雷がピカピカ光りだした頃。それからバンコク経由で無事成田に到着してしまったのは定刻より1時間30分程遅れた翌朝9:30だった。

おしまい。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-20

インド旅行(駆け足編)@ジャイプール

今日は朝からジャイプール観光。

駆け足インド旅行も残す所あと2日。
でも明日はデリーへの移動に1日費やす事になるからインド観光は今日で最後だ。
「なんとなく寂しい・・・」
「だけどkingFischerビールはもう飽きた!」

ジャイプール観光で朝一番に向かった先はアンベール城。
小高い丘の上にある城跡まで、急な山道をゾウに乗って登っていく。

アンベール城、象の背中より
一見、優雅そうに思える象のタクシー。

ところが・・・


疲れきった象はなかなか坂を登らない。
いらだった象使いは象の頭をトガッタ金属の棒で思いっきり叩く。
そして耳の後ろを素足で蹴りまくり、なんとか坂を登らそうとする。
しかし、象も反撃。

象「ユサユサ」「ウネウネ」

象使い「パカ」「蹴り、蹴り」「○×△←掛声」

だんだん象が可愛そうに思えてくる。
これって動物虐待じゃない?

でも元を正せば我てらのような観光客がそうさせているのだが。。。

複雑な心境で象の背中に揺られる事しばし、急な坂道が続く道半ばにして突如我てらの象が鼻から水しぶきを体に吹きかけ始めた。

「ブシュ~!」

上の写真をもう一度よく見て頂きたい。象の鼻から水が飛び散る瞬間だ。
もちろん体にヒットしなかった水は背中にいる我てらにもかかってくる。
朝とはいえかなりの気温。大人3人を背中に乗せ、急な坂道を登れば象もさぞかし暑いことだろう。。。

って、ちょっとまて!

その水いったいどうやって出してるの?
まさか鼻水じゃないよな??

一抹の不安を抱いた我ては、すれ違う象をよ~く観察し、ある象の行動パターンに着目した。

鼻を口に入れる。

鼻から水を出す。

もしかして・・・

ゲ○?

推測するに、この水の成分は。
水70%
胃液10%
ヨダレ10%
鼻水10%
etc

もうやめよう。

とにかく、無事アンベール城に到着する事ができました。

アンベール城にはサリーを着たインド美人がいました。
どうやらサリーのCMに出るモデルさんだそうです。

でもなんでハイヒールを手に持ち足にはビーサン?

アンベール城の観光を一通り終え入口に戻ってくると、さっき象に乗っている時に勝手に取られた写真を持ったインド人兄ちゃんが現れ、50ルピーで買ってくれと言う。

やっぱり・・・

きっとあれから坂道を駆け上がり、大急ぎで現像して我てらが出てくるのを入口で待っていたのだろう。
それで50ルピー(約150円)。
古びたマニュアルカメラで撮っていたのでフィルム代も現像代もかかる事だし決して高くは無いと思う。
せっかくだし記念に買っても良いかなと思うが、ここは何事も交渉の国インド。
まずは欲しくなさそうに「いらない」と言って値が下がるの期待する。

写真屋「50ルピー」
我て「要らないよ」
写真屋「50ルピ~」
我て「イラナイヨ~」
写真屋「じゃ、あげる」

といって、本当にくれた。
タダでもらうのも悪い気がしたので(やっぱり日本人)写真を返そうとすると、我てがバックにつけていた温度計付きキーホルダーと交換しようと言う。
(でもこのキーホルダー50ルピーより高いですから・・・)

結局、なんだかんだしているうちに返品されても仕方のない写真はタダで我てのお土産となった。

ちょっと罪悪感・・・
50ルピーより安い値段を口にすればそれで手を打ったのに。。。

これを読んで、これからアンベール城へ行く方、決して我ての真似はせず、素直に50ルピーで買ってあげて下さい。彼ら結構努力していると思います。



アンベール城を降りた我てらは、ジャイプール市内へ向かう途中湖に浮かぶ宮殿に立ち寄る。
この宮殿は昔、王様が暑さをしのぐ為、湖の上に建てさせたらしい。

写真で見る限り一見優雅なこの景色。
しかしかなり強烈な悪臭が辺りを漂っていた。
原因は緑の藻だらけの腐った湖の水。

それに追い討ちをかけるようにカメラの前に突如現れる物乞い。
どうやら子供の写真を撮らせてお金を要求する手口のようだ。
もちろん反射的に無視。

そそくさと城だけカメラに収め、一瞬にして現地を立ち去った。


その後、ジャイプール市内にある風の宮殿、シティパレス、天文観測所を足早に見て周り昼食後ひとまずホテルに引き返す。


夕方、再びホテルを後にした我てらが向かった先は、ジャイプールから40キロ程離れた所にあるという昔のインドの村。
ガイド曰くお勧めの観光スポットなのだとか。

車に揺られ、No.1ウイスキーを呷る事1時間強。
そして付いた所はレストランあり、ラクダ乗り場あり、大道芸人ありのテーマパーク。
外国人観光客の姿はほとんど無く、地元のインド人たちで賑わっていた。

「これってインドの村じゃなく、インド版日光江戸村じゃん!」

と思っていると!?

今まで無口にひたすら車を運転していたドライバーさんが突如豹変した。
かなりのハイテンション。

やたらとアレ喰え、コレやれ、あっち見に行こう。
まるで子供のようにはしゃいでる。

今時初めてディズニーランドに行った子供でもそんなにはしゃがないだろー状態。

言われるがまま、スッパ辛甘い意味不明の物を食べたり、自分の子供を棒の上でクルクル回す芸を見たり、めっちゃ暴力的なマッサージを受けたり、舞台の上でインドダンス?を踊らされたり、炭の焼ける味がする水タバコを吸ったり。
ドライバーが楽しそうにしているので、酔いの回った我ても無邪気にはしゃいでいたのだが、

「ここにある物より、はしゃいでるあんたを見ている方が楽しいですから・・・」

結局かなり遅い時間まではしゃいだにもかかわらず、まだ帰りたくなさそうなドライバーをドツいてホテルへ向かわせた。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-19

インド旅行(駆け足編)@タージマハール

ベナレスからタージマハールのあるアグラへ向かう夜行列車の車内。
騒がしく喋りまくっていたインド人達が寝静まった深夜に我ては体の異変に気付き一人目覚めた。
列車は闇のインド警笛を鳴らしながら走っている。

我てに起こった体の異変!
それはインドに行くほとんどの人が洗礼を受け、しばらく止まらないという
アレ。

ではなく...
しばらく止まらないのには変わりないが、我ての持病とも言える、、、

二日酔

そう、なってしまったのだorz
前記した通り、昨日の夕方からインド人ガイドの部屋で訳のわからぬ「No.1」ラベルのウィスキーをストレートで飲み(ミネラルウォーターがなく、危険極まりない水道水で割るよりストレートで飲む事を選択)、夕食時にはカレーよりもいささか飽きてきたインドビール「kingFischer(strong)」アルコール度数8%を2瓶ほど流し込み、駅に向かう車内では再びウイスキーの水割り。駅についてから1時間半程遅れる電車を待つ間にペプシコーラのペットボトルにラム酒を注いで作ったインドラムコークをコーラのように飲んでいたツケがやってきたのだ。。。

エアコンが効きすぎる夜行列車内でムックリ起き上がった我ては、リュックの中から手探りで持参したトイレットペーパーを掴み、トイレへフラフラした足取りで向かった。

タージマハールの写真を見れると思った人ゴメンナサイ。
これは世界遺産でもなんでもなく、夜行列車で大変お世話になったトイレです。

お世辞にもキレイと言えない列車のトイレ。
しかし今の我てにはキレイじゃない方がかえって都合いいのだ!
写真の通り、広いターゲットに、直接線路へ続く穴。
そして平常時でもこみ上げてくるものがあるニオイ。

全ての条件に恵まれた我ては、不浄の左手人差し指を使う事無くナチュラルに「マー」を遂行した。
(「マー」とは業界用語でマーライオンの真似をする遊び♪です。)

それから2,30分おきにかよった列車のトイレ。
客室の端に設けられた扉脇のインド人は我てが通る度に目を覚まし鋭い視線を投げかけてくる。きっとまた日本人がゲ○してると思っているのだろう。。。

しかし我てはゲ○をしているのだ!

貫通式トイレからインドの大地に撒き散らされた一筋のゲ○は明朝、幻想的な日の出と共に黄金色に輝くことだろう。。。

インドの大地に産まれたものは、また全てインドの大地に還るのである。
これぞまさしく輪廻転生・・・

我ては日本から遠く離れた地で、いったい何をして何を考えているのだろう。。。

そんなバチあたりな我てを乗せた列車は、何事も無かったように当然の如く遅れてアグラの駅に到着した。

迎えの車に収容された我ては、タージマハールを望む回転展望レストランへと連れてこられ、朝食を取る事になった。
というより、強烈二日酔状態で回転展望レストランに連れて来られ、朝から目の前にカレーの大皿が並んだのを見たらやる事は一つしかない。
レストランの紙のあるキレイなトイレへ直行→
再びリフレッシュした我ては、フルーツと生ジュースだけ胃にチャージ?しレストランを後にした。

お待たせ致しました。世界遺産タージマハールです。

誰もが知ってる大理石で作られた白亜の宮殿。
本当はお墓だったってこの時知りました。
と言うより、完璧な左右対称の建物は、今の我てには大きなトイレに見えてしまいます。
ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ。

靴にカバーをかけ、中に入ったのですが、どうもニオイます。
観光客の汗のニオイ。
巣を作る鳩のニオイ。
インド人の素敵なニオイ♪

世界遺産タージマハールでゲ○して、我ての胃液で大理石が溶けでもしたら一大事。
靴にカバーを被せるより、我ての口にビニール袋を付けた方が遺跡保護の観点からすれば正しいのではないか?
と思えてきたので、あまりゆっくりせず、建物の周りを1周して帰ってきた。

あまりに有名な建物は写真や映像で何度も目にしているので、正直あまり感動しない。
普段テレビで見ている芸能人を生で見たような感じだ。
極論から言えばやっぱりインドはインド人と街がおもしろい!

「えっ?もう帰ってきちゃったの?」
といった面持ちで出迎えたガイドを促し、次の目的地アグラ城へと向かう。

アグラ城は
「えーっと、その、あの、タージマハールを建てた王様がその息子に幽閉されたお城で、奥さんの墓タージマハールを望むテラスからの眺めが悲しくも、切なく良いのです。」


「ハイ、次行こー!」

と言う事で、途中昼食を食べ、アグラから2時間ほど車で走った(40キロ位)勝利の都ファテープル・スィークリーへ。 駐車場からバスに乗り換え小高い丘の上を目指す。

ここも世界遺産。

子宝に恵まれなかった王様が、この地にいた1人の僧の予言を信じた所、子宝に恵まれた為、ここに都を築いたそうだ。しかし水不足になりすぐ別の場所に遷都したのだとか。
赤砂岩でできたこの王宮は「兵どもが夢の跡」といった感じだろうか。

城内にある高さ3m程の溜池の岸にいたインド人が、
「ここから池に飛び込むから20ルピーくれ!」
などと言ってくる。
「我てがここからゲ○したらいくらくれる?」
と言い返したかったが、めんどうだったので辞めた。

でも、
「遺跡よりアンタの方がおもしろいよ♪」

ハイ、おしまい。

「次行こう。」

再び車で今日の目的地ジャイプールを目指し走り出す。
ジャイプールまでは200キロ超、約5時間の道程。

途中ドライブインのような所でトイレ休憩。
夕方になりようやく我ての体調も回復してきた。

と思ったら、休憩を終えて再び走り出した直後に車がパンクした。

とにかくスムーズに行かない(行けない)のがインドなのか?
というより、パンクをトラブルと思う日本人がいけないのか?

そんな事は無い。

手際よくタイヤの交換を始めると、辺りに民家の無い平原の中の一本道だというのにどこからかインド人の大人や子供が集まってくる。

タイヤの交換が珍しいの?
変な日本人が珍しいの?

15分程でスペアタイヤに付け替えると、集まってきたインド人もどこかへ消えていき、再び車は我てらを乗せて走り出した。

5分ほど走っただろうか。
相変わらず道は乾燥した平原の一本道で辺りに民家は見当たらない。
しかしぽつんと1軒パンク修理屋さんが道端で営業していた。

なんというタイミングの良さなのだろう。
今まで気にしていなかっただけで、日本のコンビニ並にパンク修理屋さんがあるのだろうか?

なぜかインドでは「何かをしたい!」と思うとすぐにできてしまうような気がする。
たとえばオールドデリーで缶ビールを街頭でコソコソ飲み(インドでは人前で酒を飲むのはあまり良い事ではないらしい)空缶の処分に困っていたら、「道に捨てとけば良いよ清掃の人が来るから」と言われ道路に置いておいたら、数分もしないうちに清掃の人がやってきて空缶を拾っていってくれた。
しかし、その清掃の人とは今だインドに根深く残るカーストの低い人であり、空缶を売って生活しているのだろう。これがインドの現実なのかもしれない。

話が横道にそれたが、ガタガタ、ボコボコのインドの道では次にまたいつパンクしても不思議ではない。そこでさっきパンクしたタイヤを修理し再びスペアタイヤにする事にした。
その修理作業がまた凄い。
バールとハンマーでホイールからタイヤを外す。
日本人の車好きでウン十万もするホイールを愛車に付けている人が見たら失神するであろう。
しかも、外されたタイヤから出てきたのはパンク修理跡だらけのチューブであった。
知らない人のために書くが、日本の車はほとんどチューブレスタイヤだ。
最近は自転車ですらチューブレスのものもある。
しかしインドでは日本の自転車と同じチューブタイヤ。
きっとパンクが多いので、高いタイヤがダメになるより安いチューブがダメになった方が良いという考え方なのだろう。自転車のパンク修理と同じ方法で、適当に車のパンク修理してしまうインド人はスゴイ!
そして1時間程かかり修理が完了し再び走り出した車内で我てはドライバーにたずねた。

我て「パンクの原因はなんだったの?」
ドラ「前の修理跡から空気がもれたのさ。ハッハッハ」

やっぱり自転車と同じ修理じゃダメじゃん!!

結局その日、目的地のジャイプールに付いたのは20時過ぎだった。


<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-18

インド旅行(駆け足編)@ガンジス川


ガンジス川と言えばやっぱり朝。
早朝5:00にホテルを出発し、ガンジス川の日の出と沐浴を見に行く。
まだ薄暗いダシャーシュワメードガートから船に乗り上流にある火葬場から下流にある火葬場マニカルニカガートと往復する。
ガイドブックを引用すると、
「ガンジス川はヒンズー教徒にとって聖なる川であり、亡くなった人は川岸で火葬され遺骨をガンジス川へ流す。しかし子供や自殺者、葬儀をするお金の無い者はそのまま川に流されるが以前より川は綺麗になっており、
死体などが流れてくる事はめったに無い。」
と記されている。
しかし我ては見てしまったのだ。
それは船がダシャーシュワメードガートを出てすぐ、川岸に係留されている船を押しながら進んでいた時であった。船を係留するロープに白い何かが引っかかっていたのだ。
船が近づくにつれ鼻を刺す臭い。それが何であるか薄々わかってはいたが思考回路が「まさか」と否定しようとする。しかし船がその横を通る時至近距離で目の当たりにしたのは紛れも無く白い布で包まれれた老人の遺体であった。
布から出た手や顔がはっきりわかる状態から見ておそらく昨夜のうちに流されたのであろう。
聖なる川ガンジス川。生と死が共存するガンジス川。
「この人はどんな人生を送ってきたのだろうか?」
「幸せだったのであろうか?」
「でもこうして今聖なる川の一部となれて幸せに違いない。」
そんな事が頭をよぎるのはやはりここがガンジス川だからであろう。
しばらく船内に沈黙が流れる。皆同じような事を考えているのだろうか。
そしてガイドが言った「何百回もガンジス川に来ているけど初めて見た・・・」
乗り合わせた数名の日本人と供に観光気分は一転し、神妙な雰囲気に包まれた我てらのボートは上流へと漕ぎ進めた。


しかしそんな重い空気を一気に晴らしてくれたのがガンジス川の日の出であった。神々しく東の空に昇る太陽はまさに生の象徴である事を実感する。


日の出と共にガンジス川沿いに数多くあるガートに待機していた沢山の人々が沐浴を始めた。
何千年も前から繰り返されてきた1日の始まりが今日も変わらずに励われているのだろう。
たった1日だけではあるが生と死が交わるガンジス川に身をおけた事がなにより嬉しかった。

下流にある火葬場マニカルニカガートでボートを降り入り組んだ迷路のような細道を通り黄金寺院の外観を見学する。ここはヒンズー教徒でなければ中に入れないのだ。しかし外から見るだけなのに荷物検査を受けカメラ等の電子機器、電池、ボールペン等は持ち込めない。
なんでもヒンズー教の寺院とイスラム教のモスクが同じ所にあるのが原因らしく、ライフルを持った警官が多数警備にあたっている。

ホテルに帰り朝食。
朝早かったのでしばらく寝た後ベナレス市内観光へ。
バーラトマータ寺院、ドゥルガー寺院、ベナレスヒンズー大学等を見て回る。
1度ホテルに帰り昼食。
午後は再びリクシャをつかまえ時間つぶしのドライブをしたのちインド映画を見に映画館へ。
言葉はわからなくてもインド映画は見ているだけでおもしろい。地元のインド人など皆大声で笑っていた。どうやら映画を静かに見る習慣は無いらしい。

再びホテルに帰り夕食まで時間があったのでガイドの部屋で酒盛りを開始。
今夜はアグラへ向けて夜行列車でベナレスをたつ。
街から離れた駅に行くまでの間もひたすら車内で飲みつづけた。。。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-17

インド旅行(駆け足編)@ベナレス



定刻より1時間程遅れ列車はベナレスへ到着した。
まずはホテルにチェックインし汗を流す。
今日はベナレス郊外にあるお釈迦様が初説法した地サルナートへ行くのだが出発まで数時間ほど時間があまってしまった。
ベナレスに来たからにはガンジス川に行くしかない!
そこでホテルの外へ出ると・・・
わさわさ集まるリクシャとオートリクシャとタクシー。

事前の情報ではホテル前のリクシャは高い値段を言ったり、値段どおりに行かなかったり、おみやげ屋に拉致したりと、良い噂は聞かなかったのでとりあえず無視してガンジス川方向へ歩いていく。
すると1人のオートリクシャの運転手が追いかけてきた。
交渉開始
リクシャ「ガンジス川に行くんだろ?」
我て「ぶらぶらしているだけだ」
リクシャ「ガンジス川に行かないか?」
我て「もし行ったらいくらだ?」
リクシャ「200ルピーだ!これは安い!」
我て「高い歩いていく!」
リクシャ「ガンジス川まで8キロもあるんだぞ!」
我て「嘘だ!4キロくらいだ!」
確かに我ての泊まったホテルはガンジス川から遠かった。
地図では最短のガンジス川まで直線距離で4キロ程。
もちろん歩いていく気は無い。
そこで地図を見せ有名なダシャーシュワメードガートに連れて行けと言うと
リクシャ「そこはオートリクシャは入れない!」
我て「じゃあ一番良い所へ連れて行け!」
リクシャ「ここが良い!」
指でさしたのはダシャーシュワメードガートのさらに3つほど先にあるガート。
確かに遠そうだ。
我て「じゃあ100ルピーにして。」
リクシャ「うぅ・・・」
リクシャ「わかった。1人100ルピー。2人で往復200ルピーな!」
我て「えっ?2人で100ルピーじゃないの?」
リクシャ「・・・」
我て「じゃあ200ルピーで良いから直接行って直接帰ってくるか?」
リクシャ「もちろんだ約束する!もしやぶったら金は要らない!」
それで商談成立。
なんとなくやられた感じもあるがまずは安全第一を考えた。
リクシャに乗り込みガンジス川を目指す。
人、車、バイク、自転車、牛、犬、ヤギがそれぞれ自己中心的に道を走ったり歩いたりしている。
鳴り止まないクラクションの音、どこからか聞こえてくるお祈りの歌?
とにかく喧騒に喧騒を重ねたような街ベナレス。
途中ガソリンスタンドで給油する運転手。
1リットル50ルピー(約150円)。
日本より高い・・・
いくら排気量の少ないオートリクシャとはいえガンジス川往復で1リットルはガソリン使うだろう。
やっぱり200ルピーの料金は妥当なのかもしれない?
と言うより、ホテルの前で10ルピーで行くと言っていたやつが相当怪しい。。。

途中渋滞に巻き込まれ1時間程かかってガンジス川へ到着した。
狭い路地を通り抜け建物の間から初めてガンジス川を見た時、我ては一瞬息を呑んだ。
特に綺麗な訳でもない。
なにかある訳でもない。
ただの川なのだ。
でも何かが違う。
これがガンジス川のパワーなのか?

しばらく川辺をうろついている間、リクシャの運転手はずっとガートの上で待っていた。
そして帰りも渋滞に巻き込まれつつ無事に直接ホテルへと送り届けてくれた。
降りるときに料金を渡す。
すると控えめに「混んでたからもうちょっとちょうだい」
などと言ってきたが「約束だからね。また今度ね。」
と断るとあっさり納得。
こいつは良いやつなのか?
それとも200ルピーは払いすぎなのか?
計算してみると
200ルピー=600円
-ガソリン代150円として
残り450円
約3時間の行程
時給150円
妥当じゃないかと1人納得。

午後は専用車でサルナートを観光。

ホテルに帰り夕食を済ませた後、再びリクシャを捕まえ夜のガンジス川へ行ってみる。
向かったのは有名なダシャーシュワメードガート。
オートリクシャが入れないので少し離れた所から徒歩で向かう。
昼間に比べ夜はかなりスリリングだ。

暗がりから感じる人の視線が気になる。
正直インド人の人相はコワイ。暗がりで見るともっとコワイ。
我ての見たインド人で人相の良い人はガンジーさんだけだと思う。

ガートの上にあるチャイ屋で一服していると言う運転手と別れ川岸へと降りる。
そこで見たのは何かを考えるようにガンジス川を見つめる牛。
ガートで生活している人?の夕食。
ガートで寝ている人。
犬、アヒル。
そしてヒンズー教の神様を担ぎガンジス川に入っていくインド人。
スリルと引き換えに昼とは違うガンジス川にふれる事ができた。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-16

インド旅行(駆け足編)@デリー

インド初日。
恐ろしいほどの街(人)のエネルギーに一瞬たじろぐ。
インドで最初の行動は商店へ水を買いに行く事。
ホテルを出るとそーっと近寄ってきて右手を口に運ぶ動作で食べ物、お金を乞う物乞い。
幼い子供を抱えた母親の物乞い。
エジプトでも子供が寄って来ては散々付きまとわれられたがインドの物乞いを見るとエジプトの子供は単に小遣いが欲しいだけのように思えてしまう。
始めて見る本物の物乞いにどうして良いかわからない我て。
しかし我ての周りだけで何人いるかわからない物乞いを相手にしていたらキリが無いので良い気はしないが無視させてもらう。

進むと背後から「ハロー」と声が掛かる。
ふと振り向くと1台のリクシャが近寄って来る。
リクシャ「どこに行くのだ?」
リクシャ「乗って行かないか?」
我て「ブラブラしているだけだ!」
リクシャ「そっちは危ないから行かない方がいいよ!」
我て「そうなの?ありがとう。」
と言って引き返すとUターンしてきたリクシャが
リクシャ「危険を教えてあげたのだから5ルピーくれ!」
我て「ヤダよー!ご親切に感謝しまーす。」
するとリクシャはあっけなく去ってしまった。

こんな感じでホテルからほんの50m程の商店へ水を買いに行くだけで一苦労なのだ。
しかし噂とは裏腹に意外としつこくない。
むしろエジプトの店員や子供の方が10倍はしつこかった。

今日は1日デリー市内観光。
ラージガート、クトゥブミナール(↑写真)、インド門、フマユーン廟、ジャーママスジット、レッドフォート、ガンジー記念館、ラクシュミナラタン寺院を訪れる。
夕方全ての観光を終え、オールドデリーの街をガイドと供に酒を買いに行く。
インドでは政府の店?でないと酒が買えないのだ。
今夜は夜行列車でベナレスへ移動する。
その為にも酒はどうしても必要なのだ。
ビールにウイスキーをGet。
ビールは街角でコソコソと飲み、ウイスキーは車内での楽しみとする。

夕食を終え、人でごったがえすデリー駅へ向かう。
時間どおりにやってきた2等寝台車へ乗り込みいざ出発。
我て「カンパーイ!!」
ガイド「ピヨォジーオ!!」
ヒンズー語の正式な乾杯はわからないがピヨォジーオとは「飲む」「行く」と言った意味らしい。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-15

インド旅行(駆け足編)@エアインディア

学生の頃から憧れていた国インド。
いつか行くだろうと思っていた国インド。
そしてついにインドへ上陸する日がやってきた。

期待と不安で胸一杯の我てをインドまで運んでくれるのが「エアインディア」のバンコク経由デリー行きAI309便。
塗装が剥げまくる年季の入った機体はB747-300C型機で前半分が客室、後ろ半分が貨物室になっている貨客機なのである。
貨客船好きの我てとしては一度は乗ってみたい機種だった。
サリー姿のキャビンアテンダントに迎えられ席につくとよく遅れると噂されるエアインディアも今日は定刻どおり12:00に出発。
日本発の便にもかかわらず機内食はカレー。
メニューには日本食もあったが最後部の席に付いた我てに選択肢は無かった・・・
しかし、エアインディアの良い所はビールを頼むと一気に2本渡してくれる所。ついでにワインも頼んだらビール2本にワイン1本を同時にくれた♪
ビールは何故かシンガポールのTigerビール。
これでバンコクまでは安泰だ。

激しいスコールの降る中バンコク「スワンナプーム国際空港」にハードランディングしたAI309便はバンコクまでの乗客を降ろしデリーまで行く人はそのまま機内待機。
せっかく新しいスワンナプーム国際空港を散策できると思っていたのに残念。
空港係員の清掃作業や乗客のカウントを見ながら1時間超時間をつぶす。

すっかり暗くなった頃スワンナプーム国際空港を離陸したAI309便は一路デリーを目指す。
再度出される機内食とビール。今度はインドのビールKING FISCHERをリクエストした。
ビールのつまみとして出される甘しょっぱいポテト菓子もなかなかいける。
ひたすら食べ続け飲み続けているとあっという間にデリー「インデラガンジー国際空港」に到着した。
入国審査の長蛇の列を通り抜けると時刻は21:00を過ぎていた。
港出口でガイドと合流。
全て日本から手配したパックツアーのはずが我てら2人に専用ガイドと運転手が付く気分はマハラジャなプライベートツアーとなった。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-11

デジタル一眼デビュー!ニコンD80を導入。

かねてから欲しかったデジタル一眼レフカメラ「ニコンD80」。
インドへの出発が目前に迫った今日ついに買ってしまった。
これで念願のデジタル一眼レフデビューができたのだ。
インドではバシバシ写真を撮ってくるぞ!!

- 購入内容 -
D80ボディ
レンズ18-200mm/F3.5-5.6
マルチパワーバッテリーパックMB-D80
予備電池 1個
SDカード4G 2枚

トータル20万円超の出費だった。
こんなにお金を使って良いのだろうか・・・
ためし撮りもせずにいきなり旅行に持って行って良いのだろうか・・・
不安は色々あるけれど、久々に導入した新機材に期待も高まる。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-09-06

これから日立へ。

急遽仕事で日立へ。
台風来てるし早く帰りたい。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-08-26

東北食い続け飲み続け乗り続け旅

急遽仕事で仙台入り。
しかし、予定通り仕事はあっけなく終わったにもかかわらず、会社には直帰すると宣誓して晴れて自由の身に。
ちゃっかり先方(お客さん)に、
「今日はありがとうございました。」
「ところで、せっかくなので仙台で旨~い牛タンでも食べたいんですけど・・・」
とお誘いをした所、
「歯を悪くしてちょっと牛タンは」
などと断られたものの、おいしい牛タン屋を紹介してもらいタクシーで直行した。
紹介されたお店は「太助」。
仙台の繁華街国分町にある老舗で、昼の3時だというのに店はほぼ満席状態。
我ての座ったカウンター席の前にある調理場には牛タンの山。

「そうそう、これ!」
晴れて自由の身の我ては座ると同時にビールを頼み、店主が程よい加減に焼いてくれた牛タンで乾杯。
「ビール+牛タン+外は明るい」
絶好のコンディションが整い、当たり前の如く牛タンとビールを追加注文した辺りで、我ての思考回路に昨日飲み過ぎた老酒が蘇り、突如ノイズが生じた。
「明日は休みじゃないけ~」
「必殺青春18切符持ってるやないけ~」
「これはイッチョ仙台をベースに東北を攻めまっか?」
そんな甘い誘惑に犯された我ては、会計を済ませタクシーに飛び乗ると仙台駅へと舞い戻り宿探しを開始した。

駅の中にある観光案内所でホテル一覧表をもらい、価格の安い順に電話をする事3件目。
ついに1泊4980円の宿を探し当てた。
以前、那覇でも世話になった事のある「スーパーホテル」。
泊まる所が決まれば明日の新幹線の切符を買い、今日の日付の領収書を入手して「牛タン代だけは面倒見てね♪」とボヤキつつ経費とはさようなら。
本屋で明日の作戦行程を吟味(立ち読み)したのち、ホテルへ徒歩で向かう。(突如貧乏に)
駅から歩く事20分程、なんだか見覚えのある街角にさしかかった。
「ここはさっき牛タンを食べてタクシーを拾った所じゃないか・・・」
そして、そのすぐ近くに目指す「スーパーホテル」は存在していた。。。
なんとも微妙な心境。
とりあえずチェックインを済まし、フロント横で開放されているPCで明日の情報収集を行い、しばらく部屋でウダウダした後、あまり腹はすいていないが何か夜飯をとおもい「仙台辛味噌ラーメン」なる物が頭をよぎった我ては再びフロント横のPCでお店探し。
すると幸運にも歩いてすぐの所に東北ラーメン店ランキングの上位に食い込んでいる店があるではないか。
さっそく人で賑わう繁華街を抜け紹介されていた「姫らーめん」へと向かった。
しかし、店に着くと中に誰も客が居ない。
ここは夜の店が乱立する繁華街。
こんな中途半端な時間にラーメンをススル輩はいないのであろう。
せっかく来たのだし、ここしか店を知らないし、と言う事で
「やってますか~?」
などと言いつつ入店。
メニューにあったネギ味噌ラーメンに餃子セット、ビールに温泉卵を注文した。
しめて1,800円也。(ちょっと高くないか?)

メニューの写真では辛味噌がレンゲにのっていたのだが、出てきたラーメンにはすでにスープの中に辛味噌が溶け込んでいるらしい。一度に二味と期待していたのに残念。
でも味はさすが上位ランクで評価されているだけありまぁまぁ旨かった。
結局残さず完食し、膨らんだ腹をさすりながらホテルに帰り大浴場に行く気力もなく就寝。

翌日、5:00起床。
mission開始である。
素早く寝癖、身支度を整え始発で帰る人の群れに混ざって早朝の繁華街を通り仙台駅へ。

6:00の東北本線下り一ノ関行きに乗車。
一ノ関で乗り換え、9:11に盛岡に到着。
昨日の予定ではここで10:48の宮古行きまで列車が無いので10:00開店の店で盛岡冷麺をススろうと考えていたのだが駅の掲示板には9:43発の臨時電車「さんりくトレイン北山崎号」の文字が。
入線してきた車両を見るとリクライニングシートの特急用車両ではないか。
「これは快適そうだ」と確信した我ては駅構内の蕎麦屋に飛び込み、とりあえずメニューにあった冷麺とビールを注文。


「寝起きに慌てて食べる冷麺と冷たいビールは胃にこたえる。」

しかし行き当たりバッタリ的な作戦変更は功を奏し「さんりくトレイン北山崎号」に飛び乗るとリクライニング全快で宮古まで1日数往復しか走っていない超ローカルの山田線(ゴメンナサイ)を快適に走破する事ができた。
しかもこの「さんりくトレイン北山崎号」はビューポイントは速度を落として走行する上、車内放送で色々と解説してくれるハトバス的列車だったのだ。
我ては道中ほとんど爆睡状態ではあったが、放送が入る度薄目を開けて北上高地の景色を見た、気がする。

そしてもう1つ急遽予定変更をしたおかげで宮古での滞在時間を1時間程確保する事ができたのだ。
本当は10分も無い乗り継ぎ時間で駅弁でも買って車内で食べようと思っていたのだが、時間が出来たので、駅から歩いて15分程の所にある魚菜市場の食堂へ昼飯を食べに出かけた。
注文したのは三陸の海の幸が盛られた海鮮丼(1900円)。とビール。

残念だったのは本来我ての大好物イクラが入っているはずなのに、
「今日は無い」と言う理由でタコに変わっていた事。
「イクラ無いならまけてよ!」とか、
「イクラの変わりにウニを多くして!」
等と言えない小心者の自分に腹が立ちつつも朝飯から3時間しかたっていないので腹が膨れた。

再び宮古駅に戻り、12:57発の列車で三陸海岸を南下し、釜石へ。
そこから花巻、北上、一ノ関とひたすら電車を乗り継ぎ19:33に仙台へと戻った。
さすがに朝から電車→飯→電車→飯→電車という行程だったのでお腹もすいておらず、昨日買った新幹線の切符を振りかざし、在来線男から新幹線男に出世した我てはキヨスクで牛タンジャーキーとビールを買って出張帰りのビジネスマンのように「はやて88号」で家路についた。

今日の移動距離約1000キロ。
うち、在来線650キロ。(約12時間)
胃にもお尻にも肝臓にも過酷な、三陸食い続け飲み続け乗り続け旅だった。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-08-23

インドに行っちゃおう!


なかなか目処のたたなかった9月の旅行。
ようやく目指すべき所が見つかった。
目的地ははインド
本当はイースター島でモアイとともにボーっとしたかった。
もしくはカンクンからチチェン・イッツァ?のピラミッドに行きたかった。
でも住民税のせいでそれらをあきらめ、
最後に行こうと決めていた国「インド」が我ての中で急浮上してきたのだ。
別に去年エジプトでファラオになり損ねたから今年はインドでマハラジャになろうなんて思った訳ではない。
ただ最近、インド式ほにゃららとかが流行っているし、知人から「インドに行ったこと無かったっけ?」と聞かれたりして(どうやら我てはインド好きに見えるらしい。)なんとなく引き寄せられる感じがして、なんとなく呼ばれた気がして、行ってみることにしただけである。
(そんなこと言っても使う航空会社は悪名高きエアインディアのバンコク経由便。インド旅行者のなかでは「エアインディア」=「AI」=「エアインチキ」などと称する人もいるほどちゃんと飛ぶか当てにならない航空会社らしい・・・)
飛行機の心配はさておき、とりあえずインドに入国するにはビザが必要なのだ。
そんな訳で、先日初めてよその国の大使館へ赴きビザの申請をしてきた。
麹町のインド大使館に朝9時に行きパスポートと申請書、顔写真、1200円を提出。お釣りが出ないよう1200円きっちり用意した方がよさそうだ。
(隣の窓口で10,000円札で払おうとしていた人が怒られていた・・・)
そして当日の夕方5時に再び大使館に赴き、整理券を取って待つ事しばし、
帰ってきたパスポートには1ページにデカデカとインドビザが貼られていた。
なかなか埋まらないパスポートのページを一気に1ページ埋めてしまうとはさすがインドである。
黄門様の印籠のような大きなビザを見ていると期待も不安も膨らむ。

そしてインド大使館の帰り、銀座のインド政府観光局に寄ってみた。
インドでは禁酒法が施行されている州があるらしく、外国人には飲酒許可証なるものが発行されているらしい。
その州に立ち入る予定は無いが「飲酒許可証」という証明書があるなら是非欲しいと思い、「地〇の歩き方」に載っていたインド政府観光局で発行してくれるという記事を信じてやってきたのだ。
しかし、受付にいた人に「飲酒許可証を下さい」とたずねると、ここで発行していたのは7,8年前の話との事。
早速「地〇の歩き方」改め「地球の迷い方」に惑わされてしまったのだ。
やはりインドはよほど把握し難い国なのであろう。。。
とりあえずビザは手に入れたので、後は体調を整えエアインディアが無事飛ぶ事を祈るしかない。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-08-19

谷川岳登山

お盆休み初日の15日に青春18切符の旅第3段と称し草津温泉へ行ったのだが特に変わった事も無く、ただ露天風呂で寝ていただけなのでここでは省略。
そして今日は青春18切符の旅第4段として谷川岳登山に向かった。
静岡B級グルメを追い求めた今夏、少し体重が気になりだしたので、ここは1つ山登りでもして体を動かそうと言う魂胆だ。
上野を5:13に出発する高崎線の始発に乗り込み、高崎、水上と乗り継ぎ目的地谷川岳の麓にある土合駅に到着。しかし正確に記すと土合駅は麓ではなく、谷川岳の中にある。
と言うのも、この駅は「日本一のモグラ駅」として有名で、下り線の着くホームは地下深くにあり、地上の改札まで486段もの階段を登らなければならない。(ちなみに上り線のホームは地上にある)

階段を登る事15分、ようやく改札を抜けると一般道を歩き、途中遭難者慰霊塔の前を通り約25分程で谷川岳ロープウェイの土合駅に到着。
一気に標高1321mの天神平までロープウェイで上り、そこから谷川岳の山頂を目指す。

最初はなだらかな山道も、45分ほど歩いた地点から急に険しさを増す。
切り立った岩場をロープや鎖を頼りに登る所もちらほら。
しかし、このコースが一番初心者向きなのだそうだ。。。
山での遭難死者数世界ワースト1なのもうなずける。
そんな急斜面をヒヤヒヤドキドキ登る事約2時間。
なんとか2つある山頂の1つトマの耳に到着。
バッタアルピニストの我てとしては、かなり恐ろしい登山道だった。
(子供や高齢者も普通に登っていたが。。。)
【↓写真】トマの耳よりオキの耳を望む。

標高はオキの耳(1977m)の方が高いので、トマの耳に荷物を置いたまま、
片道20分ほどのオキの耳へと向かう。
両サイド切り立った崖の稜線は風が吹くと怖い・・・
ようやく両山頂を制覇した我ては、少し引き返し頂上直下にある山小屋で持参したインスタントラーメンとおにぎりで昼食。
山の上で自分で作って食べるインスタントラーメンは何故か旨い。
山小屋でキンキンに冷えているビールにもそそられたが、前記のとおりバッタアルピニストの我ては下山の安全性を考慮し我慢する事にした。
そして予定では下山道として西黒尾根を下る予定でいたのだが、山小屋の人に尋ねると今登ってきたルートより危ないので、初心者は下らない方が良いとのありがたいお言葉。
(西黒尾根を通りたいのであれば、また来た時に登った方が良いとの事)
あっさり西黒尾根をあきらめ、登ってきたルートを慎重に引き返す。
「行きはよいよい、帰りはもっと怖い。」
岩場を滑り台のようにして両手とお尻を使い下山。

無事たどり着いた天神平駅の展望レストランで待望のビールを飲み、再びロープウェイで麓まで降りJR土合駅15:32の電車で水上へ。
水上と言えば温泉。
駅から歩いて15分程の所にある「水上ふれあい交流舘」で汗を流して家路についた。

去年の秋以来の山登り。
明日は筋肉痛になる事間違えなし。
行き当たりバッタリではあったが充実したお盆休みを過ごす事ができた。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-08-13

たまごふわふわ in 袋井

2007年夏の青春18切符の旅第2段は、前回の「静岡おでん」に続き静岡B級グルメ「たまごふわふわ」と「富士宮やきそば」を攻略する事にした。
まずは早朝の東海道をひたすら下り浜松の少し手前、袋井駅に到着。
そこから本日たまごふわふわの攻略地に選んだ温泉施設「遠州和の湯」の迎えのマイクロバスに乗り、まずはひとっ風呂。
地下1500mから汲み上げている茶褐色の太古の湯にどっぷり浸かり、出てきた頃にはちょうど昼時。さっそく食堂でたまこふわふわとビールを注文。

すっかりビールが回ってきた頃に出されたたまごふわふわは茶碗蒸しの様な物であろうと考えていた我ての予想を裏切り、さらなるふわふわ感を醸し出していた。
これは写真や文字ではうまく伝えられない食物であるが、例えるなら出汁の上に卵の泡をかけた感じである。
風呂で出した水分をビールで補給し我てはすっかり酔っ払い上機嫌で遠州和の湯を後にした。

目指すは次の目的地富士宮。
爆睡のもと東海道線で富士へと引き返し、身延線に乗り換え西富士宮へ。
電車に乗っていただけなので空腹どころかさっきのビールがまだ効いている。
しかし帰りの時間を考えるとここでやきそばを喰わねばならん。
攻略店として選んだのは西富士宮駅から徒歩30分弱の所にある富士宮やきそばの有名店「うるおいてい」。
なんでもこの店はコンビにと提携してインスタント富士宮やきそばを販売したらしく、期待が持てる。
行きは道が分からなかったので駅からタクシーで行ってしまった(770円)のだが、まだ17時だというのに店の前にはすでに行列ができており駐車場には県外ナンバーの車がずらり・・・
夕日に赤く染まる富士山を眺めながら1時間弱店の外で待っただろうか。
漂うやきそばの匂いに胃が刺激され程よい空腹感を感じた頃店の中へ案内された。
とりあえず生2杯とやきそば、お好み焼き、ホタテバターを注文する。

すると、生2杯なのにピッチャーで出てきた。「おぉやる気だな」と思いつつ、ホタテバターとお好み焼きを自ら焼き、ビールをグビグビしていると、メインディッシュの富士宮やきそばの具材が用意された。
そしてビールも空になり、鉄板の上も空いた頃を見計らい店員さんがやってきてラードをたっぷり鉄板に馴染ませやきそばを焼いてくれる。
今回オーダーしたのはその名も「うるおいやきそば」。
たまごが付いている所がポイントらしい。
やはりB級グルメに卵はかかせない存在かもしれない!?


焼き方を見ていると、まずはお肉から・・・
ではなく、熱々の鉄板に具材を一気に流し込み軽く炒める。
そしてしっかりコシのある麺にたっぷりの水を吸わせ蒸し焼き状態にし、最後にもんじゃ焼きのようにやきそばで土手を作り真中に卵を投入。
半生状態の卵の上に麺を載せ、鰯節と青海苔をたっぷりかけて完成。
見るからに食欲をそそる出来栄えだ。
酒を追加注文し、鉄板の上から箸でつまむ。
「旨ゃい。」
さらに上の写真にある赤い容器に入った自家製「にんにくからし味噌」を絡めて食べる。
「超ー旨ゃい!」
こんなに旨いんだったら2人前注文すればよかった。
となりのテーブルが注文したホルモン焼も旨そうだし(ヨダレ)
この店リピートする事間違え無し。
そう確信した我ては店を出ると、酔った頭を研ぎ澄ましマーキングするかのように道を覚えながら西富士宮の駅へと向かった。

西富士宮発19:05甲府行き電車に乗り込み山梨経由で家路に付く。
家に着くのは終電だろう。あとはもうひたすら車内で寝るだけだ。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-07-29

土用の丑「ひつまぶし」@名古屋

明日7月30日は土用の丑。
「うなぎが食べたい~!」
「おっ!青春18切符売ってるやないけ~!?」
そんな訳で「ひつまぶし」発祥の地、名古屋にある元祖ひつまぶし
「あつた蓬莱軒」へと向かった。

東京を5:20に出発する各駅停車静岡行きに乗り込む。
この電車は早朝大垣よりムーンライトながらとして東京に着いた車両を静岡まで回送するための各駅停車で、ムーンライトながらに使用されているJR東海の特急車両にて運行される。
という事は青春18切符を使え普通列車のグリーン車並みのシートに座り早朝の東海道を快適に西行できるとてもお得なダイヤなのである。
むろん早起きした為、車内爆睡のまま静岡、浜松で乗り換え、名古屋の2つ手前の金山で下車。
そこから地下鉄名城線左回りに乗り3駅。
蓬莱軒本店のある伝馬町に辿り着いた。
時刻は11時30分。
東京を出てから略6時間電車に揺られ、程よくお腹も空いていた。
伝馬町の駅から徒歩5分程の蓬莱軒本店に行きやっと飯が喰えるぞ!
と思いきや、なんと2時間待ちとの事。
恐るべし土用の丑。。。
しかたなく受け付けをすませ、ひつまぶしを食べる為のひまつぶしに(オヤジギャグ!?)再び地下鉄に乗り名古屋城見物をする事にした。


梅雨明けしたばかりの名古屋城を蝉の声を聞きながら見物。
腹が減り過ぎて金のシャチホコすら旨そうに見える(ヨダレ)
2時間後には蓬莱軒へ戻らねばならないので足早に天守閣に昇り詰め、
「名古屋城落城~!」(制覇)と叫ぶと再び地下鉄で伝馬町へと向かった。

蓬莱軒に戻るとすぐに座敷へと通され、待ちに待った一言。
「ビールとひつまぶし」と注文した。
乾いた喉に瓶ビールを流し込む事2本目。
ようやくひつまぶしが目の前に姿を現した。


ひつまぶし発祥の店蓬莱軒のメニューに書いてあるひつまぶしの食べ方通りに箸を進める。
櫃の中の鰻丼をしゃもじで四等分に切る。
1回目はそのまま茶碗に入れ鰻丼として味わう。
2回目は海苔、葱、わさびの薬味を入れて味わう。
3回目は薬味に加え出し汁をかけお茶漬けにして味わう。
4回目は一番旨かった食べ方で食べる。
これがひつまぶしの正しい食べ方らしく、我てはお茶漬けが一番旨かったので、4回目もお茶漬けで味わった。
これで夏バテは無いであろう。

蓬莱軒でうなぎを満喫し、15時過ぎの電車で家路に着く。
豊橋、浜松と乗り継ぎ静岡に到着。時刻は18時11分。
蓬莱軒を後にしてから4時間程しか経っておらずあまりお腹も空いていないが待ち合わせ時間を利用してB級グルメ「静岡おでん」を食べることにした。


濃いめのタレで煮込んだ静岡おでんは酒のお供として腹が減っていなくてもつい箸が進む味。
なんでも黒はんべと言うツミレとはんぺんの中間のような物が名物なんだとか。
それにお茶の本場静岡とあって緑茶ハイが旨い。
かれこれ1時間程まったりし再び静岡駅のホームにあがると、19:35発東京行きが入線してきた。
この電車も実は東京到着後、今夜のムーンライトながらとなる特急用車両で、静岡から東京までは各駅停車として運行される為、青春18切符で乗れてしまうのだ。
お腹一杯の上快適車両でゆっくりと家路に着ける。
時刻表とにらめっこしながら旅程を練ると結構旨い旅行ができるもんだ!
次は何処へ行こう。。。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-07-11

インスタントそうめんチャンプルー


昼飯を買いにコンビニへ行き、見つけてしまった。
「一口食べれば気分は沖縄」 本当か!?
すぐさま買い込み、会社に帰るとお湯が無い・・・
お湯を沸かす間にスキャンしてこのページを作っていると、
他の社員からの冷たい視線を背中に感じる。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-07-08

すいかの正しい食べ方!


夏といえばスイカ。
その昔、波照間島でスイカの受粉バイトをした気もする。
それはさておき、とにかくスイカは我ての大好物である。
そして我てのスイカの食べ方は少し変わっている。
と言うより効率的。

普通は先のとがったスプーンで食べるのだが、
我てははフォークとナイフで食べるのだ。
だってスプーンで食べると種が取りにくいし、汁が飛び散る。
しかし、フォークとナイフで食べると、
ナイフで見える種を取る。
ナイフで1口分に切る。
フォークで刺す。
フォークを回転させながらナイフで残りの種を取る。
口に入れる。
そうすれば汁は飛び散らないし、種を「ペッペ」する必要もない。

今年の夏は是非スイカをフォークとナイフで。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-07-07

住民税は重身ん税

先月、赤紙のごとく郵便受けに舞い込んだ1通の封筒。
恐る恐る中身を取り出すと年貢の取り立ての如き「住民税
その税額をみて失神しそうになった。
ほぼ1ヶ月の給料分。
今年から税率が改定され、住民税が上がるが所得税が下がり、
納税額はあまり変わらない・・・
なんて直前に告知されていたが、我が家に来た納税書は去年の
数倍
一瞬何かの間違えじゃないか?
と疑いたくなる金額だ!
さっそく調べてみるとお上の非情な策略が覗える。
「最も多い層から取れば沢山取れる」
つまり、
「少数派の金持ちより、大勢の貧民から取れば効率が良い」
という考え。
「生活に不自由のない金持ちから取るお金と、
 なんとかやりくりしている庶民から取るお金、
 その重みには大きな違いがある。(クソ)」
そして、我ての住むY市になぜこんなに貢がなければならないのか!
我が家の駐車場の前など去年1年で3回も道路工事を行っている。
1回で済ませれば良いのに、これって単に税金の無駄遣いでしょ!
揚句公務員である市営交通の職員が運賃を猫糞し、その額1億円
だとか。
はっきり言って払いたくない。
しかし払わないと差し押さえを行使されるのだとか。
差し押さえは勘弁なので仕方なく1回目を払う事にする。
だけど単に払うのも悔しいので、必殺JALカードからEdyにチャージ
し、コンビニで払う事にした。そうすればマイルが貯まるでしょ♪
でも問題はEdyのチャージ額の上限が5万円までである事。
そこで携帯Edyの登場。

納税方法はこれだ!

夜中、客の居ないコンビニへ行く。

レジに納付書を出す。

あらかじめチャージしておいた分で払う。

店員に少し待っててもらう。

その間に携帯Edyに再びチャージする(約1分)

残りの金額を払う。

携帯Edyのチャージに登録しているクレジットカードはもちろん
JALカード
これでJALマイルをGetできる。
しかも携帯EdyをANAのマイレージクラブに登録しておけば・・・
税金や公共料金の支払いではマイル加算はされないが、普段
使いではJALマイルとANAマイル両方同時に貯めることが出来る。
これって結構効率的♪
さらに、裏技ではコンビに払いができ、ポイントをマイルに交換できる
クレジットカードを使い・・・
なんて方法も考えられるが、そこまでやると実際の支払いは数ヶ月
先になる訳で、忘れた頃に致命的な請求が・・・
なんて事になりかねないのでヤメておく事にしよう。

「とにかく、今年の夏は住民税に奪われそうな悪寒がしる・・・」

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-06-22

危機対応能力?

今朝、我ての使っている京浜東北線が架線の切断とやらで大変な事になっていたらしい。
しかし、何時もどおり家を出た我ては、徒歩20分のJRの駅に行く途中敏感に異変を察知した。
「何時も通らない寝台特急が走ってる。」
「何時もより電車が通ってない。」
さっそく携帯で運行情報を調べてみると「京浜東北線全線運転見合せ」との事。
これはラッキーと、家から徒歩5分の並走する京浜急行の駅に行き、白々しく「振替輸送やってます?」
などと駅員に尋ね、何時もより早く会社についてしまったorz
「そこまでして会社に行きたいのか?」
と尋ねられると答えは「NO-!」だが、
まともに動かない電車の中で爆睡できるほど我ても図太くない。。。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-06-10

コーンポタージュパスタ


先日、キャンベルのコーンポタージュスープ缶をもらった。
「ありがとう・・・」
しかし、内容量を見ると2~3人前なんだとか。
いくらコーンポタージュが好きでも1人でそんな大量のスープを飲む事はできない。(もらっておいてゴメンナサイ orz)
そこで我てはコーンポタージュを相性の良さそうなパスタにからめメインディッシュにしてしまう事を考えた。

作り方は超簡単。
コーンポタージュ缶を鍋にあけ、規定量より少ない牛乳で濃い目に作る。
そこへ本日の隠し味、レンジで加熱すれば出来上がるチーズフォンデュを流し込み濃厚なソースに仕上げ、茹で上がったパスタにかけるだけ。
今日は見た目にもこだわり付け合せに買ってきたセロリの葉っぱをあしらってみた。

お味の方は無難な組み合わせが見事に絡み合い文句無しに旨い。
また1つ料理の幅が広がった?

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>

2007-06-04

一人暮らしの禁じ手


今から10年程前。離島でマンネリ化した長期キャンプをしていた時、
「この場とこの機材でできる究極の料理は何なのか?」
などとキャンパー同士で話し合い、結果「天ぷら」ではないかと言う
結論に達した。
もちろんやる事の無くなりつつあった我てらは唯一の楽しみ「食」に
走った訳で、その日の夜に浜で天ぷらをしたのは言うまでもない。
我てにとって人生初の天ぷら作り。
初めは無難な食材を揚げつつ、次第に酒の回ったキャンパー達は
辺りにあった訳の解らぬ野草にころもをつけ揚げ始めた。(旨い)
そして野草を求めて彷徨った誰かがカニを生け捕りにしてきた。
野草<カニ
当たり前のごとくカニは生きたままころもをつけられ、煮えたぎる油中
に投入された。
すると暴れたカニはコッヘルから飛び出し砂にまみれて息絶えた。。。
貴重な犠牲を払い学習したキャンパー達はコッヘルのフタを手にもち
誰かが捕まえてきた2匹目のカニを投入。そしてすかさずフタをする。
「カタカタカタカタ・・・・」
静かになった所でフタを開けるとカラリと真っ赤になった「カニの浜揚げ」
が出来ていた。
それに塩をふり食べる。
「旨い!」
それからしばらくカニ捕獲のために夜の浜を走り回ったのは「あたりまえ」
の話である。

かなり前置きが長くなったが、我ての中で「天ぷら(揚げ物)」は究極の
調理方法だった訳で、一人暮らしを始めて早9年。一度もした事がなかった。

しかし、前例同様マンネリ化してきた自炊生活に新たな一歩をと思い、
今日始めて揚げ物に挑戦した。
我てが記念すべき初揚げ物に選んだ料理は鳥の唐揚げ。
目指すはおふくろの味。
スーパーの見切り品で半額になった鳥もも肉をgetし、おそらく賞味期限の
切れたであろう1年物の自家製ニンニク醤油と、確実に賞味期限の切れた
みりん、飲む用の酒、チューブ入り生姜、おろしニンニク、隠し味のほんだし
に漬け込む。
そして我が自炊の友6inchダッチオーブンに油を張り、ころもをつけ揚げる。
普通はここで揚げ加減や油の温度等に血迷う所だが、居酒屋の厨房で
働いていた経歴のある我て。全ては勘を頼りに調理した。

こんがり狐色に揚がった唐揚げは。。。
期待を裏切る事無く外はカリカリ、中はジューシー。(オチが無くてスイマセン)
自画自賛にすぎないが、「この味なら売れるかもしれない」とまで思えた。
今までの経験(カニから始まり居酒屋の厨房まで)が遺憾なく発揮された
奇跡の味とでも称そう。

それにしても、油壷や揚げ物用トレー(特に要らないが雰囲気が大事)、
油、粉などを買い揃えなくてならず、今日の出費は約¥3,000-
そして作った唐揚げは6個と言う事で、1個¥500- になる計算だ。
普通に唐揚げ弁当が買えてしまうorz
「一人暮らしとは、浪費する為にある。・・・(by我て)」
でも、油を1回で捨てるのはもったいないし、粉もたっぷり余っているので、
また近々唐揚げを作り、単価を下げていく予定。
次回はタルタルソースでも密造するか。。。

<<BEFORE<<・・・・・<TOP>・・・・・>>NEXT>>