2007-09-23

インド旅行記動物編@サファリパーク?


インドにはいろんな動物がいた。
と言うより、いらっしゃった。

野生動物の中で人々の生活が営まれていた。
動物たちが人間のように生活を営んでいた。
インド人と野生動物はパートナーだった。

いまいち哲学的になれなかった我ては、そのどれが正しいのか
判らないが、とにかく身の回りに日本ではありえない動物が
行動を共にしていた。

牛、猿、羊、馬、鳥、犬、豚、鼠、山羊、象、駱駝、インド人
これだけで干支が作れてしまう。

日本の動物園で見られるだけの動態展示物より、インドで働いている
動物を間近に見る方がサファリパークよりおもしろいし、スリリングだ。

ちょっとでもボーッとしようものならたちまち、牛に突付かれ、ラクダに
蹴散らされ、象に踏みにじられ、インド人に集られるであろう。

東京ディ○ニーランドの隣り辺りに、東京インディーランドを作り、
ビザを買って入場し、お金をルピーに両替して、従業員はみんなインド人、
レストランはもちろんカレーばかりで、ホテルは良く停電し、道にはリクシャ
が走り回り、そこら中に動物がいる。
そんなテーマパークがあったらきっとミッキーからも客を奪えるのではない
かと真剣に考えてしまう程、インドとはメルヘンチック?なカントリーなので
ある。


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2007-09-22

インド旅行記食べ物編@つまりカレー


インドでは朝、昼、晩、食事の度に必ずカレーが登場する。
「そんな大袈裟な!」
と言う方、インドに行ってみてください。。。

インドに行った事があって、
「それは間違っている!」
と言う方、もう少し正確に書くと
インドでは食事の度に必ず、
カレーか
カレー味の何かか
カレー風味の何か
が登場する。(納得してくれる?)

カレー以外の食べ物はないのか?
あるにはある、
カレーにつけて食べる物、
カレーと混ぜて食べる物、
その他、単体では主食にならないもの、
果物、水、酒。(後者2つは飲み物か?)
インドでは、カレーをおかずにカレーを食べ、
ある時はカレーにカレーを混ぜ(皿の上で勝手に混ざってしまう)毎食の栄養
を摂取するのだ。

こんな事もあった。
売店で水を買い、お釣りの1ルピーの変わりにもらった飴玉が
カレー味だった。。。

きっとインド料理のレシピ本なんかを見たりすると、どの料理も必ず原材料に
カレー粉・・・適量
などと記されているのだろう。(インドにカレー粉があるかどうか知らんが)

ベナレスに夜行列車で着き、ホテルにチェックインを済ませ食堂へ向かうと
当然の如く朝からカレー。しかも食べ放題(バイキング)。
車内で飲みすぎ、少し胃がムカムカしていた我ては、朝からインドの油っこい
カレーを食す気になれず、第2の主食「ビール」を注文すると。
「なんだこいつ朝から酒飲むのかよ!」
「ワァオ!」
みたいな事を言い出す。(ヒンドゥー教はあまり酒を善しとしないらしい)
すかさず「何か問題でも?」
と切り返すと
「ノープロブレム」
と言って奥から生ぬるいビールを持ってきた。
インドホテルの朝飯に、白いご飯と納豆、味噌汁は期待しないが、
せめてカレーじゃなくて、もう少しモーニングっぽい物はないのかよ!
とか言いながら日本では朝からカレーやカレーうどんなんかをよく食べる。

だんだん何を書けばよいのか、わからなくなってしまった・・・
つまり、我てはカレーが大好きなんだけど、この時はインドのカレーに負け、
酒に救いを求めてしまったのだ。と、言いたいのであろう。

とにかく、簡単に書くと、
「インドでカレーのような味がする物を一切食べない。」
などと心に決めてしまうと、すなわちそれは絶食を意味する事になる。
それほどまでにインドでは「カレーの七変化」、もしくは「カレーの三段活用」的な
食生活を送ったのである。

< 後日談 >
帰りの機内、これで「カレーともしばらくおさらばじゃ」などと思いながらエアインディア
の機内食を食べてから数日後。
なぜか無性に日本風のカレーが食べたくなり、行きつけの立ち食い蕎麦屋でカレー
蕎麦を食べる。
それからさらに数日後、家のフライパンでナンを焼き、インド風カレーを自分で作り、
右手のみでカレーを綺麗に食べる練習をしだした自分が怖い・・・
ここまでカレー・カレー・カレーと連呼すると、検索サイトでカレーを検索すると
上位に表示されてしまうかもしれない。。。(か、スパムとみなされるか・・・)


---以下、食事中の人(特にカレー)、下ネタがキライな人は読まないで下さい ---

我が家に帰り、やり慣れたトイレでう○ちをすると、どこからか、なつかしい臭いが
漂ってきた。
それは紛れも無く自分のう○ちから発せられるマサラ(カレーのスパイス)の臭い
だった。。。


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2007-09-21

インド旅行駆け足編@家路

ついにインド最終日。
2泊したジャイプールのホテルとも今日でお別れ。

このホテル、部屋にあるトイレの水が止まらなくて困った。。。

最初は(昨日の話)
「まっ、流れないよりましか♪」
などと思い、掛け流しトイレを満喫していたが、だんだん水量が少なくなり、
「ごごごごごご・・・・」っと「もう水ありません!」
状態の音に変わってきたので、ホテルの貯水タンクが空っぽになったらレストランやらシャワー(ぬるま湯しか出ません)が困るだろうと思い、フロントへその旨を伝えると、ホテル在住の何でも屋さんらしき人がペンチ持参で部屋にやってきて、トイレの流水ボタンを「ギコギコ」。
「ノープロブレム」
と言って修理は完了した。
それはシロートの我てから見ても、へこんだままの流水ボタンをペンチで引っ張り戻しただけ。
「治った」ではなく「止めた」なのだ。
ためしに、「もう一回水を流してみ?」と言うと。
案の定水は止まらない。
再び流水ボタンを分解したホテルの何でも屋さんは、こんどは激しく「ギコギコ」とボタンを押し引きし、多少ボタンの滑りがよくなった所で、
必殺「ノープロブレム」
確かに水は止まるようになっていた。。。
もちろんその後チップを要求するかのように部屋から離れようとしなかったが、我てが壊した訳でもないので追い返した。

結局、次に用を足しトイレの水を流した時に水は止まらなかったのだが、そのまま一晩を明かしてそそくさとチェックアウト。
きっと、すぐさまあの応急処置を施し次の客を迎え入れるのであろう。
我てには関係ないが、ホテルの従業員も関係ないのである。
(運がよければチップがもらえるかもしれないけど)

前置きが長くなったが、今日はジャイプールから、夕方飛び立つエアインディアへ乗るためデリーへ移動するだけの日。
ホテルを車で出発してまもなく、渋滞に捕まった。

見てのとおり象の渋滞。

普段、やたらクラクションを鳴らし爆走する運転手も、おとなしく象の渋滞最後尾でノロノロ車を走らす。
きっと象をアオッタあげく、切れた象に車を踏み潰されるのが怖いのであろう。

らちがあかないので車を止めて近くの屋台でなにやら買ってきた。

グリーン唐辛子の天ぷら。

一口かじると後から「ビリ~」っと辛さが口の中に広がる。
しかし、東京のインド料理屋で、店員のインド人に
「インド人もそんなに辛いカレーは食べな~い」
(韓国料理店でも同じような事を言われる)
と言われる程、甘いも辛いも食べ物である限り何でも大丈夫な我て。
普通に完食すると、なんだかつまらなそう。

「もしかして、昨日はしゃいでた昔インド村を、楽しみ途中に帰らせた恨みか?」

とも思えてくる。
日本人みんなが辛い物は苦手と思っちゃいかんよ!
我てみたいな鈍感味音痴もいるんよ!

その後、数時間黙々と運転しつづけ夕刻、無事デリーのインデラガンジー国際空港に到着した。
帰る日の空港は何時も何処でも寂しい気分にさせてくれる。
今までずっと付き合ってくれたガイドに心ばかりのお礼と、ドライバーにもチップを渡し出発ロビーへと荷物を運び込む。

搭乗ゲートの決まらぬままチェックインを済ませ、やる事もなく空港内をウロウロしながらあまったルピーでお土産を買う。
とうとう、やる事も無くなり、ルピーも無くなった頃、搭乗ゲートが決まり待合室で待つことしばし。
予定出発時間直前に到着したエアインディア機は、若干の客を吐き出すと、すぐさま我てら新客を機内へ案内する。
「絶対清掃なんてしてなさそう・・・」
席に付くと、ウェルカムドリンクならぬ、ウェイティングドリンク(コレ飲んで飛ぶまで待っとれドリンク)が配られおとなしく待つ。

さらにまた喉が渇くくらい待つ。

ふと窓の外に目をやると、肩に4本の金スジが入った制服を着る機長らしき人物が、右主翼の端にある第4エンジンを腰に手を当て見上げている。

しばらくすると、脚立を持ったつなぎ服のインド人(整備士?)が現れ、ドライバーらしき物を手にエンジン周りで作業を始める。

きっとホテルの何でも屋のような作業を行っているのだろう。

整備士「ノープロブレム」
機長「そこちょっとプロブレム」

おそらくこんな会話がされているに違いない。

まっ、旅行の最終日はいつも、
「明日からまたがんばってバリバリ働こう!」

などと心に決めるわけなく、
「このまま死んでも良いか~」

状態の幸福感につつまれている我ては気楽にこの光景を眺めていた。

結局このエアインディアがインドの地を離れたのはすっかり暗くなり、夕立の雷がピカピカ光りだした頃。それからバンコク経由で無事成田に到着してしまったのは定刻より1時間30分程遅れた翌朝9:30だった。

おしまい。

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2007-09-20

インド旅行(駆け足編)@ジャイプール

今日は朝からジャイプール観光。

駆け足インド旅行も残す所あと2日。
でも明日はデリーへの移動に1日費やす事になるからインド観光は今日で最後だ。
「なんとなく寂しい・・・」
「だけどkingFischerビールはもう飽きた!」

ジャイプール観光で朝一番に向かった先はアンベール城。
小高い丘の上にある城跡まで、急な山道をゾウに乗って登っていく。

アンベール城、象の背中より
一見、優雅そうに思える象のタクシー。

ところが・・・


疲れきった象はなかなか坂を登らない。
いらだった象使いは象の頭をトガッタ金属の棒で思いっきり叩く。
そして耳の後ろを素足で蹴りまくり、なんとか坂を登らそうとする。
しかし、象も反撃。

象「ユサユサ」「ウネウネ」

象使い「パカ」「蹴り、蹴り」「○×△←掛声」

だんだん象が可愛そうに思えてくる。
これって動物虐待じゃない?

でも元を正せば我てらのような観光客がそうさせているのだが。。。

複雑な心境で象の背中に揺られる事しばし、急な坂道が続く道半ばにして突如我てらの象が鼻から水しぶきを体に吹きかけ始めた。

「ブシュ~!」

上の写真をもう一度よく見て頂きたい。象の鼻から水が飛び散る瞬間だ。
もちろん体にヒットしなかった水は背中にいる我てらにもかかってくる。
朝とはいえかなりの気温。大人3人を背中に乗せ、急な坂道を登れば象もさぞかし暑いことだろう。。。

って、ちょっとまて!

その水いったいどうやって出してるの?
まさか鼻水じゃないよな??

一抹の不安を抱いた我ては、すれ違う象をよ~く観察し、ある象の行動パターンに着目した。

鼻を口に入れる。

鼻から水を出す。

もしかして・・・

ゲ○?

推測するに、この水の成分は。
水70%
胃液10%
ヨダレ10%
鼻水10%
etc

もうやめよう。

とにかく、無事アンベール城に到着する事ができました。

アンベール城にはサリーを着たインド美人がいました。
どうやらサリーのCMに出るモデルさんだそうです。

でもなんでハイヒールを手に持ち足にはビーサン?

アンベール城の観光を一通り終え入口に戻ってくると、さっき象に乗っている時に勝手に取られた写真を持ったインド人兄ちゃんが現れ、50ルピーで買ってくれと言う。

やっぱり・・・

きっとあれから坂道を駆け上がり、大急ぎで現像して我てらが出てくるのを入口で待っていたのだろう。
それで50ルピー(約150円)。
古びたマニュアルカメラで撮っていたのでフィルム代も現像代もかかる事だし決して高くは無いと思う。
せっかくだし記念に買っても良いかなと思うが、ここは何事も交渉の国インド。
まずは欲しくなさそうに「いらない」と言って値が下がるの期待する。

写真屋「50ルピー」
我て「要らないよ」
写真屋「50ルピ~」
我て「イラナイヨ~」
写真屋「じゃ、あげる」

といって、本当にくれた。
タダでもらうのも悪い気がしたので(やっぱり日本人)写真を返そうとすると、我てがバックにつけていた温度計付きキーホルダーと交換しようと言う。
(でもこのキーホルダー50ルピーより高いですから・・・)

結局、なんだかんだしているうちに返品されても仕方のない写真はタダで我てのお土産となった。

ちょっと罪悪感・・・
50ルピーより安い値段を口にすればそれで手を打ったのに。。。

これを読んで、これからアンベール城へ行く方、決して我ての真似はせず、素直に50ルピーで買ってあげて下さい。彼ら結構努力していると思います。



アンベール城を降りた我てらは、ジャイプール市内へ向かう途中湖に浮かぶ宮殿に立ち寄る。
この宮殿は昔、王様が暑さをしのぐ為、湖の上に建てさせたらしい。

写真で見る限り一見優雅なこの景色。
しかしかなり強烈な悪臭が辺りを漂っていた。
原因は緑の藻だらけの腐った湖の水。

それに追い討ちをかけるようにカメラの前に突如現れる物乞い。
どうやら子供の写真を撮らせてお金を要求する手口のようだ。
もちろん反射的に無視。

そそくさと城だけカメラに収め、一瞬にして現地を立ち去った。


その後、ジャイプール市内にある風の宮殿、シティパレス、天文観測所を足早に見て周り昼食後ひとまずホテルに引き返す。


夕方、再びホテルを後にした我てらが向かった先は、ジャイプールから40キロ程離れた所にあるという昔のインドの村。
ガイド曰くお勧めの観光スポットなのだとか。

車に揺られ、No.1ウイスキーを呷る事1時間強。
そして付いた所はレストランあり、ラクダ乗り場あり、大道芸人ありのテーマパーク。
外国人観光客の姿はほとんど無く、地元のインド人たちで賑わっていた。

「これってインドの村じゃなく、インド版日光江戸村じゃん!」

と思っていると!?

今まで無口にひたすら車を運転していたドライバーさんが突如豹変した。
かなりのハイテンション。

やたらとアレ喰え、コレやれ、あっち見に行こう。
まるで子供のようにはしゃいでる。

今時初めてディズニーランドに行った子供でもそんなにはしゃがないだろー状態。

言われるがまま、スッパ辛甘い意味不明の物を食べたり、自分の子供を棒の上でクルクル回す芸を見たり、めっちゃ暴力的なマッサージを受けたり、舞台の上でインドダンス?を踊らされたり、炭の焼ける味がする水タバコを吸ったり。
ドライバーが楽しそうにしているので、酔いの回った我ても無邪気にはしゃいでいたのだが、

「ここにある物より、はしゃいでるあんたを見ている方が楽しいですから・・・」

結局かなり遅い時間まではしゃいだにもかかわらず、まだ帰りたくなさそうなドライバーをドツいてホテルへ向かわせた。

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2007-09-19

インド旅行(駆け足編)@タージマハール

ベナレスからタージマハールのあるアグラへ向かう夜行列車の車内。
騒がしく喋りまくっていたインド人達が寝静まった深夜に我ては体の異変に気付き一人目覚めた。
列車は闇のインド警笛を鳴らしながら走っている。

我てに起こった体の異変!
それはインドに行くほとんどの人が洗礼を受け、しばらく止まらないという
アレ。

ではなく...
しばらく止まらないのには変わりないが、我ての持病とも言える、、、

二日酔

そう、なってしまったのだorz
前記した通り、昨日の夕方からインド人ガイドの部屋で訳のわからぬ「No.1」ラベルのウィスキーをストレートで飲み(ミネラルウォーターがなく、危険極まりない水道水で割るよりストレートで飲む事を選択)、夕食時にはカレーよりもいささか飽きてきたインドビール「kingFischer(strong)」アルコール度数8%を2瓶ほど流し込み、駅に向かう車内では再びウイスキーの水割り。駅についてから1時間半程遅れる電車を待つ間にペプシコーラのペットボトルにラム酒を注いで作ったインドラムコークをコーラのように飲んでいたツケがやってきたのだ。。。

エアコンが効きすぎる夜行列車内でムックリ起き上がった我ては、リュックの中から手探りで持参したトイレットペーパーを掴み、トイレへフラフラした足取りで向かった。

タージマハールの写真を見れると思った人ゴメンナサイ。
これは世界遺産でもなんでもなく、夜行列車で大変お世話になったトイレです。

お世辞にもキレイと言えない列車のトイレ。
しかし今の我てにはキレイじゃない方がかえって都合いいのだ!
写真の通り、広いターゲットに、直接線路へ続く穴。
そして平常時でもこみ上げてくるものがあるニオイ。

全ての条件に恵まれた我ては、不浄の左手人差し指を使う事無くナチュラルに「マー」を遂行した。
(「マー」とは業界用語でマーライオンの真似をする遊び♪です。)

それから2,30分おきにかよった列車のトイレ。
客室の端に設けられた扉脇のインド人は我てが通る度に目を覚まし鋭い視線を投げかけてくる。きっとまた日本人がゲ○してると思っているのだろう。。。

しかし我てはゲ○をしているのだ!

貫通式トイレからインドの大地に撒き散らされた一筋のゲ○は明朝、幻想的な日の出と共に黄金色に輝くことだろう。。。

インドの大地に産まれたものは、また全てインドの大地に還るのである。
これぞまさしく輪廻転生・・・

我ては日本から遠く離れた地で、いったい何をして何を考えているのだろう。。。

そんなバチあたりな我てを乗せた列車は、何事も無かったように当然の如く遅れてアグラの駅に到着した。

迎えの車に収容された我ては、タージマハールを望む回転展望レストランへと連れてこられ、朝食を取る事になった。
というより、強烈二日酔状態で回転展望レストランに連れて来られ、朝から目の前にカレーの大皿が並んだのを見たらやる事は一つしかない。
レストランの紙のあるキレイなトイレへ直行→
再びリフレッシュした我ては、フルーツと生ジュースだけ胃にチャージ?しレストランを後にした。

お待たせ致しました。世界遺産タージマハールです。

誰もが知ってる大理石で作られた白亜の宮殿。
本当はお墓だったってこの時知りました。
と言うより、完璧な左右対称の建物は、今の我てには大きなトイレに見えてしまいます。
ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ。

靴にカバーをかけ、中に入ったのですが、どうもニオイます。
観光客の汗のニオイ。
巣を作る鳩のニオイ。
インド人の素敵なニオイ♪

世界遺産タージマハールでゲ○して、我ての胃液で大理石が溶けでもしたら一大事。
靴にカバーを被せるより、我ての口にビニール袋を付けた方が遺跡保護の観点からすれば正しいのではないか?
と思えてきたので、あまりゆっくりせず、建物の周りを1周して帰ってきた。

あまりに有名な建物は写真や映像で何度も目にしているので、正直あまり感動しない。
普段テレビで見ている芸能人を生で見たような感じだ。
極論から言えばやっぱりインドはインド人と街がおもしろい!

「えっ?もう帰ってきちゃったの?」
といった面持ちで出迎えたガイドを促し、次の目的地アグラ城へと向かう。

アグラ城は
「えーっと、その、あの、タージマハールを建てた王様がその息子に幽閉されたお城で、奥さんの墓タージマハールを望むテラスからの眺めが悲しくも、切なく良いのです。」


「ハイ、次行こー!」

と言う事で、途中昼食を食べ、アグラから2時間ほど車で走った(40キロ位)勝利の都ファテープル・スィークリーへ。 駐車場からバスに乗り換え小高い丘の上を目指す。

ここも世界遺産。

子宝に恵まれなかった王様が、この地にいた1人の僧の予言を信じた所、子宝に恵まれた為、ここに都を築いたそうだ。しかし水不足になりすぐ別の場所に遷都したのだとか。
赤砂岩でできたこの王宮は「兵どもが夢の跡」といった感じだろうか。

城内にある高さ3m程の溜池の岸にいたインド人が、
「ここから池に飛び込むから20ルピーくれ!」
などと言ってくる。
「我てがここからゲ○したらいくらくれる?」
と言い返したかったが、めんどうだったので辞めた。

でも、
「遺跡よりアンタの方がおもしろいよ♪」

ハイ、おしまい。

「次行こう。」

再び車で今日の目的地ジャイプールを目指し走り出す。
ジャイプールまでは200キロ超、約5時間の道程。

途中ドライブインのような所でトイレ休憩。
夕方になりようやく我ての体調も回復してきた。

と思ったら、休憩を終えて再び走り出した直後に車がパンクした。

とにかくスムーズに行かない(行けない)のがインドなのか?
というより、パンクをトラブルと思う日本人がいけないのか?

そんな事は無い。

手際よくタイヤの交換を始めると、辺りに民家の無い平原の中の一本道だというのにどこからかインド人の大人や子供が集まってくる。

タイヤの交換が珍しいの?
変な日本人が珍しいの?

15分程でスペアタイヤに付け替えると、集まってきたインド人もどこかへ消えていき、再び車は我てらを乗せて走り出した。

5分ほど走っただろうか。
相変わらず道は乾燥した平原の一本道で辺りに民家は見当たらない。
しかしぽつんと1軒パンク修理屋さんが道端で営業していた。

なんというタイミングの良さなのだろう。
今まで気にしていなかっただけで、日本のコンビニ並にパンク修理屋さんがあるのだろうか?

なぜかインドでは「何かをしたい!」と思うとすぐにできてしまうような気がする。
たとえばオールドデリーで缶ビールを街頭でコソコソ飲み(インドでは人前で酒を飲むのはあまり良い事ではないらしい)空缶の処分に困っていたら、「道に捨てとけば良いよ清掃の人が来るから」と言われ道路に置いておいたら、数分もしないうちに清掃の人がやってきて空缶を拾っていってくれた。
しかし、その清掃の人とは今だインドに根深く残るカーストの低い人であり、空缶を売って生活しているのだろう。これがインドの現実なのかもしれない。

話が横道にそれたが、ガタガタ、ボコボコのインドの道では次にまたいつパンクしても不思議ではない。そこでさっきパンクしたタイヤを修理し再びスペアタイヤにする事にした。
その修理作業がまた凄い。
バールとハンマーでホイールからタイヤを外す。
日本人の車好きでウン十万もするホイールを愛車に付けている人が見たら失神するであろう。
しかも、外されたタイヤから出てきたのはパンク修理跡だらけのチューブであった。
知らない人のために書くが、日本の車はほとんどチューブレスタイヤだ。
最近は自転車ですらチューブレスのものもある。
しかしインドでは日本の自転車と同じチューブタイヤ。
きっとパンクが多いので、高いタイヤがダメになるより安いチューブがダメになった方が良いという考え方なのだろう。自転車のパンク修理と同じ方法で、適当に車のパンク修理してしまうインド人はスゴイ!
そして1時間程かかり修理が完了し再び走り出した車内で我てはドライバーにたずねた。

我て「パンクの原因はなんだったの?」
ドラ「前の修理跡から空気がもれたのさ。ハッハッハ」

やっぱり自転車と同じ修理じゃダメじゃん!!

結局その日、目的地のジャイプールに付いたのは20時過ぎだった。


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2007-09-18

インド旅行(駆け足編)@ガンジス川


ガンジス川と言えばやっぱり朝。
早朝5:00にホテルを出発し、ガンジス川の日の出と沐浴を見に行く。
まだ薄暗いダシャーシュワメードガートから船に乗り上流にある火葬場から下流にある火葬場マニカルニカガートと往復する。
ガイドブックを引用すると、
「ガンジス川はヒンズー教徒にとって聖なる川であり、亡くなった人は川岸で火葬され遺骨をガンジス川へ流す。しかし子供や自殺者、葬儀をするお金の無い者はそのまま川に流されるが以前より川は綺麗になっており、
死体などが流れてくる事はめったに無い。」
と記されている。
しかし我ては見てしまったのだ。
それは船がダシャーシュワメードガートを出てすぐ、川岸に係留されている船を押しながら進んでいた時であった。船を係留するロープに白い何かが引っかかっていたのだ。
船が近づくにつれ鼻を刺す臭い。それが何であるか薄々わかってはいたが思考回路が「まさか」と否定しようとする。しかし船がその横を通る時至近距離で目の当たりにしたのは紛れも無く白い布で包まれれた老人の遺体であった。
布から出た手や顔がはっきりわかる状態から見ておそらく昨夜のうちに流されたのであろう。
聖なる川ガンジス川。生と死が共存するガンジス川。
「この人はどんな人生を送ってきたのだろうか?」
「幸せだったのであろうか?」
「でもこうして今聖なる川の一部となれて幸せに違いない。」
そんな事が頭をよぎるのはやはりここがガンジス川だからであろう。
しばらく船内に沈黙が流れる。皆同じような事を考えているのだろうか。
そしてガイドが言った「何百回もガンジス川に来ているけど初めて見た・・・」
乗り合わせた数名の日本人と供に観光気分は一転し、神妙な雰囲気に包まれた我てらのボートは上流へと漕ぎ進めた。


しかしそんな重い空気を一気に晴らしてくれたのがガンジス川の日の出であった。神々しく東の空に昇る太陽はまさに生の象徴である事を実感する。


日の出と共にガンジス川沿いに数多くあるガートに待機していた沢山の人々が沐浴を始めた。
何千年も前から繰り返されてきた1日の始まりが今日も変わらずに励われているのだろう。
たった1日だけではあるが生と死が交わるガンジス川に身をおけた事がなにより嬉しかった。

下流にある火葬場マニカルニカガートでボートを降り入り組んだ迷路のような細道を通り黄金寺院の外観を見学する。ここはヒンズー教徒でなければ中に入れないのだ。しかし外から見るだけなのに荷物検査を受けカメラ等の電子機器、電池、ボールペン等は持ち込めない。
なんでもヒンズー教の寺院とイスラム教のモスクが同じ所にあるのが原因らしく、ライフルを持った警官が多数警備にあたっている。

ホテルに帰り朝食。
朝早かったのでしばらく寝た後ベナレス市内観光へ。
バーラトマータ寺院、ドゥルガー寺院、ベナレスヒンズー大学等を見て回る。
1度ホテルに帰り昼食。
午後は再びリクシャをつかまえ時間つぶしのドライブをしたのちインド映画を見に映画館へ。
言葉はわからなくてもインド映画は見ているだけでおもしろい。地元のインド人など皆大声で笑っていた。どうやら映画を静かに見る習慣は無いらしい。

再びホテルに帰り夕食まで時間があったのでガイドの部屋で酒盛りを開始。
今夜はアグラへ向けて夜行列車でベナレスをたつ。
街から離れた駅に行くまでの間もひたすら車内で飲みつづけた。。。

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2007-09-17

インド旅行(駆け足編)@ベナレス



定刻より1時間程遅れ列車はベナレスへ到着した。
まずはホテルにチェックインし汗を流す。
今日はベナレス郊外にあるお釈迦様が初説法した地サルナートへ行くのだが出発まで数時間ほど時間があまってしまった。
ベナレスに来たからにはガンジス川に行くしかない!
そこでホテルの外へ出ると・・・
わさわさ集まるリクシャとオートリクシャとタクシー。

事前の情報ではホテル前のリクシャは高い値段を言ったり、値段どおりに行かなかったり、おみやげ屋に拉致したりと、良い噂は聞かなかったのでとりあえず無視してガンジス川方向へ歩いていく。
すると1人のオートリクシャの運転手が追いかけてきた。
交渉開始
リクシャ「ガンジス川に行くんだろ?」
我て「ぶらぶらしているだけだ」
リクシャ「ガンジス川に行かないか?」
我て「もし行ったらいくらだ?」
リクシャ「200ルピーだ!これは安い!」
我て「高い歩いていく!」
リクシャ「ガンジス川まで8キロもあるんだぞ!」
我て「嘘だ!4キロくらいだ!」
確かに我ての泊まったホテルはガンジス川から遠かった。
地図では最短のガンジス川まで直線距離で4キロ程。
もちろん歩いていく気は無い。
そこで地図を見せ有名なダシャーシュワメードガートに連れて行けと言うと
リクシャ「そこはオートリクシャは入れない!」
我て「じゃあ一番良い所へ連れて行け!」
リクシャ「ここが良い!」
指でさしたのはダシャーシュワメードガートのさらに3つほど先にあるガート。
確かに遠そうだ。
我て「じゃあ100ルピーにして。」
リクシャ「うぅ・・・」
リクシャ「わかった。1人100ルピー。2人で往復200ルピーな!」
我て「えっ?2人で100ルピーじゃないの?」
リクシャ「・・・」
我て「じゃあ200ルピーで良いから直接行って直接帰ってくるか?」
リクシャ「もちろんだ約束する!もしやぶったら金は要らない!」
それで商談成立。
なんとなくやられた感じもあるがまずは安全第一を考えた。
リクシャに乗り込みガンジス川を目指す。
人、車、バイク、自転車、牛、犬、ヤギがそれぞれ自己中心的に道を走ったり歩いたりしている。
鳴り止まないクラクションの音、どこからか聞こえてくるお祈りの歌?
とにかく喧騒に喧騒を重ねたような街ベナレス。
途中ガソリンスタンドで給油する運転手。
1リットル50ルピー(約150円)。
日本より高い・・・
いくら排気量の少ないオートリクシャとはいえガンジス川往復で1リットルはガソリン使うだろう。
やっぱり200ルピーの料金は妥当なのかもしれない?
と言うより、ホテルの前で10ルピーで行くと言っていたやつが相当怪しい。。。

途中渋滞に巻き込まれ1時間程かかってガンジス川へ到着した。
狭い路地を通り抜け建物の間から初めてガンジス川を見た時、我ては一瞬息を呑んだ。
特に綺麗な訳でもない。
なにかある訳でもない。
ただの川なのだ。
でも何かが違う。
これがガンジス川のパワーなのか?

しばらく川辺をうろついている間、リクシャの運転手はずっとガートの上で待っていた。
そして帰りも渋滞に巻き込まれつつ無事に直接ホテルへと送り届けてくれた。
降りるときに料金を渡す。
すると控えめに「混んでたからもうちょっとちょうだい」
などと言ってきたが「約束だからね。また今度ね。」
と断るとあっさり納得。
こいつは良いやつなのか?
それとも200ルピーは払いすぎなのか?
計算してみると
200ルピー=600円
-ガソリン代150円として
残り450円
約3時間の行程
時給150円
妥当じゃないかと1人納得。

午後は専用車でサルナートを観光。

ホテルに帰り夕食を済ませた後、再びリクシャを捕まえ夜のガンジス川へ行ってみる。
向かったのは有名なダシャーシュワメードガート。
オートリクシャが入れないので少し離れた所から徒歩で向かう。
昼間に比べ夜はかなりスリリングだ。

暗がりから感じる人の視線が気になる。
正直インド人の人相はコワイ。暗がりで見るともっとコワイ。
我ての見たインド人で人相の良い人はガンジーさんだけだと思う。

ガートの上にあるチャイ屋で一服していると言う運転手と別れ川岸へと降りる。
そこで見たのは何かを考えるようにガンジス川を見つめる牛。
ガートで生活している人?の夕食。
ガートで寝ている人。
犬、アヒル。
そしてヒンズー教の神様を担ぎガンジス川に入っていくインド人。
スリルと引き換えに昼とは違うガンジス川にふれる事ができた。

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2007-09-16

インド旅行(駆け足編)@デリー

インド初日。
恐ろしいほどの街(人)のエネルギーに一瞬たじろぐ。
インドで最初の行動は商店へ水を買いに行く事。
ホテルを出るとそーっと近寄ってきて右手を口に運ぶ動作で食べ物、お金を乞う物乞い。
幼い子供を抱えた母親の物乞い。
エジプトでも子供が寄って来ては散々付きまとわれられたがインドの物乞いを見るとエジプトの子供は単に小遣いが欲しいだけのように思えてしまう。
始めて見る本物の物乞いにどうして良いかわからない我て。
しかし我ての周りだけで何人いるかわからない物乞いを相手にしていたらキリが無いので良い気はしないが無視させてもらう。

進むと背後から「ハロー」と声が掛かる。
ふと振り向くと1台のリクシャが近寄って来る。
リクシャ「どこに行くのだ?」
リクシャ「乗って行かないか?」
我て「ブラブラしているだけだ!」
リクシャ「そっちは危ないから行かない方がいいよ!」
我て「そうなの?ありがとう。」
と言って引き返すとUターンしてきたリクシャが
リクシャ「危険を教えてあげたのだから5ルピーくれ!」
我て「ヤダよー!ご親切に感謝しまーす。」
するとリクシャはあっけなく去ってしまった。

こんな感じでホテルからほんの50m程の商店へ水を買いに行くだけで一苦労なのだ。
しかし噂とは裏腹に意外としつこくない。
むしろエジプトの店員や子供の方が10倍はしつこかった。

今日は1日デリー市内観光。
ラージガート、クトゥブミナール(↑写真)、インド門、フマユーン廟、ジャーママスジット、レッドフォート、ガンジー記念館、ラクシュミナラタン寺院を訪れる。
夕方全ての観光を終え、オールドデリーの街をガイドと供に酒を買いに行く。
インドでは政府の店?でないと酒が買えないのだ。
今夜は夜行列車でベナレスへ移動する。
その為にも酒はどうしても必要なのだ。
ビールにウイスキーをGet。
ビールは街角でコソコソと飲み、ウイスキーは車内での楽しみとする。

夕食を終え、人でごったがえすデリー駅へ向かう。
時間どおりにやってきた2等寝台車へ乗り込みいざ出発。
我て「カンパーイ!!」
ガイド「ピヨォジーオ!!」
ヒンズー語の正式な乾杯はわからないがピヨォジーオとは「飲む」「行く」と言った意味らしい。

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2007-09-15

インド旅行(駆け足編)@エアインディア

学生の頃から憧れていた国インド。
いつか行くだろうと思っていた国インド。
そしてついにインドへ上陸する日がやってきた。

期待と不安で胸一杯の我てをインドまで運んでくれるのが「エアインディア」のバンコク経由デリー行きAI309便。
塗装が剥げまくる年季の入った機体はB747-300C型機で前半分が客室、後ろ半分が貨物室になっている貨客機なのである。
貨客船好きの我てとしては一度は乗ってみたい機種だった。
サリー姿のキャビンアテンダントに迎えられ席につくとよく遅れると噂されるエアインディアも今日は定刻どおり12:00に出発。
日本発の便にもかかわらず機内食はカレー。
メニューには日本食もあったが最後部の席に付いた我てに選択肢は無かった・・・
しかし、エアインディアの良い所はビールを頼むと一気に2本渡してくれる所。ついでにワインも頼んだらビール2本にワイン1本を同時にくれた♪
ビールは何故かシンガポールのTigerビール。
これでバンコクまでは安泰だ。

激しいスコールの降る中バンコク「スワンナプーム国際空港」にハードランディングしたAI309便はバンコクまでの乗客を降ろしデリーまで行く人はそのまま機内待機。
せっかく新しいスワンナプーム国際空港を散策できると思っていたのに残念。
空港係員の清掃作業や乗客のカウントを見ながら1時間超時間をつぶす。

すっかり暗くなった頃スワンナプーム国際空港を離陸したAI309便は一路デリーを目指す。
再度出される機内食とビール。今度はインドのビールKING FISCHERをリクエストした。
ビールのつまみとして出される甘しょっぱいポテト菓子もなかなかいける。
ひたすら食べ続け飲み続けているとあっという間にデリー「インデラガンジー国際空港」に到着した。
入国審査の長蛇の列を通り抜けると時刻は21:00を過ぎていた。
港出口でガイドと合流。
全て日本から手配したパックツアーのはずが我てら2人に専用ガイドと運転手が付く気分はマハラジャなプライベートツアーとなった。

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2007-09-11

デジタル一眼デビュー!ニコンD80を導入。

かねてから欲しかったデジタル一眼レフカメラ「ニコンD80」。
インドへの出発が目前に迫った今日ついに買ってしまった。
これで念願のデジタル一眼レフデビューができたのだ。
インドではバシバシ写真を撮ってくるぞ!!

- 購入内容 -
D80ボディ
レンズ18-200mm/F3.5-5.6
マルチパワーバッテリーパックMB-D80
予備電池 1個
SDカード4G 2枚

トータル20万円超の出費だった。
こんなにお金を使って良いのだろうか・・・
ためし撮りもせずにいきなり旅行に持って行って良いのだろうか・・・
不安は色々あるけれど、久々に導入した新機材に期待も高まる。

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2007-09-06

これから日立へ。

急遽仕事で日立へ。
台風来てるし早く帰りたい。

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